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  • Posted on
    2008.11.10
  • posted by kenshin.

アウトサイダーアート 『MIKEY WELSH』


Mikey Welsh
アメリカ バーモント州、バーリントンを拠点に活動するアウトサイダーアート画家であり彫刻家。

彼の生き方は簡単では無くあまりにもドラマティックであるが故に独学で孤高のスタイルに到達したのではないだろうか。

1971年4月20日アメリカNEW YORKの出身の彼はボストンでミュージシャンとして数々のバンドを転々としジュリアナハットフィールドのツアーベーシスとして参加したりとミュージシャンとしての才能を開花させ、キャリアを積んで行きます。
アメリカ、カリフォルニアを拠点にしていたオルタネィテヴ系バンド "WEEZER"に初代ベーシストであるMATT SHARPの脱退後、2代目ベーシストとして1998年に正式なメンバーとして加わることになります。 WEEZERはパワーポップというジャンルを確立しアルバムPINKERTON, GREEN ALBUMなど発表をし成功を収めたバンドとして地位を固めていました。
もちろんMIKEY自身、世間から脚光を浴びる一人となります。そのプレッシャーからかその事が同時に彼の心を苦しめて行く原因の一つともなって行ったのかもしれません。
WEEZERからは未だ正式な脱退理由はオフィシャルにされていませんが2001年に彼はWEEZERを突然脱退し精神病院に入院をすることになります。

「WEEZERとの3ヶ月間のヨーロッパツアーの始めから私の体と精神はゆっくりとバラバラに壊れ始めました」Mikey Welsh 談





WEEZERは成功を収めワールドツアーやプロモーションの毎日を送ります。世間の脚光を浴びれば浴びるほど、売れれば売れるほどMikeyはストレスの為かドラッグに頼るようになります。
彼の肉体、精神をドラッグにより蝕み、ついには双極性障害、心的外傷後ストレス障害、境界性人格障害等を発症しツアーが終わるまでには彼は精神的に破壊を起こし完全に精神衰弱にかかります。
その後、彼はボストンにて薬物過剰摂取による自殺を試みますが失敗。
心臓完全停止数分後に発見され病院に搬送され、数日間昏睡状態をさまよい精神科病棟のベットで目覚める事になります。
一時期はボストンでミュージシャンとして復帰することになるのですが メジャーレーベルの音楽業界システムに疑問を持ち音楽から引退をし独学で芸術家の道を歩み、スタジオ、家から引きこもりがちになり外界を遮断しキャンバスと向き合う日々を送り作品を制作にのめり込んで行きます。

彼の作品のほとんどがブラシを用いずまるで彼についた悪魔を振り払うかのよう単に手と指を用いてキャンバスを攻撃するかのごとく作品を制作して行きますが、その多くが驚異的であり、
荒々しく作品は巨大で多作であり何よりも、鋭く、まるで色々な色の内蔵をキャンバスにぶちまけたように熱狂的で見る者を圧倒的なパワーで彼の孤高の王国に引き込んで行きます。
それは自分自身が現在、生命体として現存している証をキャンバスになすり付けて行くかのごとく生々しく、生命の力に満ちあふれ、そして男性的でありストレートでまるで彼自身を切り刻みその流れる血肉をキャンバスにぶちまけたように彼の生命の叫びを感じる作風である。

現在も独自のペースで制作を続けておりボストンのPARADICE CLUBの25周年アニバーサリーのためにソロ エキシビジョンを行う等、アウトサイダーアートとして非常に高く評価を得ています。





text : keso

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