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  • Posted on
    2008.12.30
  • posted by kenshin.

MARTIN RAMIREZ


破れたアメリカンドリームと引き換えに得た物とは何だったのであろうか?

人々が成功を求めアメリカンドリームと歌われた20世紀、1885年生まれのメキシコ人であるMARTINも例外ではなくアメリカンドリームを夢見てカリフォルニアへ移住。
鉄道工事の日雇い労働に従事したMARTINはアメリカの暮らしにはなじめず、あまり丈夫ではなかった体に鞭を打つ毎日、次第にアメリカンドリームを夢見て移住してきたものの、成功とはかけ離れた暮らしに、MARTINの心にだんだん、かげりが見え始め心を蝕んで行く様になり、ついに彼は神経失調症を発症し幻覚にさい悩まされ、ついには言葉を失い、放浪の末、1930年に精神病院に収容されることになります。以後彼がなくなる1960年迄、彼は精神病院から退院することはなかったと言います。
彼は精神病院で言葉を失った代償の様に一心不乱に絵を描き始めました。しかし彼が絵を描いてる等とは当時、衛生面からも厳しい管理体制にあった精神病院側は思いもよらぬ事でした。
彼は便せんや紙の切れ端等を唾や食事のマッシュポテトから作った糊等で張り合わせ、自作のキャンバスを作りキュビズムやシュレアルを感じさせる表現、メキシコとアメリカの文化の融合的表現、幾何学的でありながらもハンドライティング感を残した何とも言えぬ20世紀的未来派表現的な絵を病院側の厳しい衛生管理体制をくぐり抜けて描き続け、ベッドのマットレス、洋服の中等に隠し続けて行きます。

あるとき、この病院で授業を行っていた大学教授にMARTINは絵を見せたのがきっかけで教授の後押しもあり絵を描く権利を病院から得ます。その後亡くなる迄の間30年間300点もの絵を描き続けることになるのです。
彼の絵を見ると錯覚を起こすような何とも言えぬ幾何学的でありながらも温もりのあるライン。かなわなかったアメリカンドリームと産まれ故郷のメキシコの望郷の念が混在してるかのように思えてなりません。
アメリカンドリームを夢見て敗れ、この当時の社会の犠牲者のスポットのあたらない人達の一部であるMARTINの破れた夢と引き換えたその代償のようなこの絵はただのアウトサイダーアートとしてかたずけるのにはなんだか複雑な思いを抱いてしまい、彼が言葉まで失ってしまいながら引き換えた彼の風景が焼き付いたような絵だと感じてしまいました。

TEXT :KESO


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