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    2010.11.22
  • posted by kenshin.

ポアンカレ予想とGrigory Perelman


「単連結な3次元閉多様体は3次元球面S3に同相である。」


これは、アメリカのクレイ数学研究所(CMI)によって2000年に発表された「ミレニアム懸賞問題(millennium prize problems)」という、7つの数学上の未解決問題の1つ、「ポアンカレ予想」のことである(ちなみに、懸賞金の額は1問につき100万ドル)。


数学的に厳密ではないが、例えて言えば、宇宙の中の任意の一点から長いロープを結んだロケットが宇宙を一周して戻ってきて、ロープの両端を引っ張ってロープを全て回収できた場合、宇宙の形は概ね球体(ドーナツ型のような穴のある形ではない)と言えるのか?という問題(予想)である。 1904年、フランスの数学者アンリ・ポアンカレによって提出された。以来ほぼ100年にわたり未解決だったが、ロシア人数学者グリゴリー・ペレルマンは、これを証明したとする複数の論文をarXivに掲載。それ以来ペレルマン論文に対する検証が複数の数学者チームによって試みられた。これらのチームは、どれもペレルマン論文は基本的に正しく致命的誤りはなかったこと、また細部のギャップについてもペレルマンの手法によって修正可能であったという結論で一致した(要するに、問題が難し過ぎて正しいかどうかの判定も難しい、というわけだ)。これらのことから、現在では少なくともポアンカレ予想についてはペレルマンにより解決されたと考えられている。

また、ほとんどの数学者がトポロジーという手法を使ってポアンカレ予想を解こうとしたのに対し、ペレルマンは微分幾何学と物理学の手法を使って解いてみせた。そのため、解の説明を求められてアメリカの壇上に立ったペレルマンの解説を聞いた多くの数学者たちは、「まず、ポアンカレ予想を解かれたことに落胆し、それがトポロジーではなく微分幾何学を使って解かれたことに落胆し、そして、その解の解説がまったく理解できないことに落胆した」という。


グリゴリー・ペレルマンは、ユダヤ系ロシア人の数学者で、元ステクロフ数学研究所数理物理学研究室所属。専門は幾何学・大域解析学 (Global Analysis) ・数理物理学など。数学教師だった母親から英才教育を受け、サンクトペテルブルク大学で学び、欧米で言うところの博士号を取得。学生時代、当時の最年少記録である16歳で国際数学オリンピックの出場権を獲得し、全問満点の金メダルを授与された。この時、物理学にも興味を持っており、その才能は友人曰く「もし国際物理オリンピックに出場していれば、そちらでも満点(金メダル)を取っていたに違いありません」というほどのものだったとか。その後、ソ連崩壊を受けニューヨーク州立大学ストニーブルック校、カリフォルニア大学バークレー校で研究を続けた。ロシア帰国後はステクロフ数学研究所に所属していた
が、2005年12月に退職届を提出し、2006年1月以降は同研究所に現れていない。


2006年度、ポアンカレ予想解決の貢献により「数学界のノーベル賞」と言われているフィールズ賞(幾何学への貢献とリッチ・フローの解析的かつ幾何的構造への革命的な洞察力に対して)を受賞したが、「自分の証明が正しければ賞は必要ない」として受賞を辞退した。ペレルマンは、以前にも昇進や欧州の若手数学者に贈られる賞を辞退するなどの経緯があり、賞金にも全く興味を示さなかったり、自分の論文をあまり公表したがらない性格でも知られていた。アメリカの雑誌の取材に対しては「有名になると何も言えなくなってしまう」と答えている。

現在は故郷で母親と共にわずかな貯金と母親の年金で細々と生活しているらしく消息は不明だが「密かにケーラー・アインシュタイン計量(Einstein-Kähler metric)の存在問題に取り組んでおり、数学者としての研究はいまだ放棄していない」と噂されている。趣味はキノコ狩りで、人付き合いを嫌い、ほとんど人前に姿を見せないなど、ちょっと変わった人物であるが、学生の頃は笑顔の絶えなかった少年だったそうである。

2010年3月18日に、クレイ数学研究所は、ペレルマンがポアンカレ予想を解決したと認定して、ミレニアム賞(副賞として100万ドル)授賞を発表した。彼は2010年6月8日の授賞式に姿を見せなかったが、クレイ数学研究所の所長は「選択を尊重する」と声明を発表し、賞金と賞品は今現在も保管されたままである。













今まで誰も見つけることの出来なかった真実を発見することは、並大抵ではない。例えば、20世紀最大の難問と言われていた「フェルマーの最終定理」。この難問を前に多くの数学者たちが挫折・絶望し、苦渋を強いられた。苦難の末に画期的な予想を打ち立てた日本人数学者は自殺、その予想の先取権をめぐる陰謀と裏切りなどが、数多くの優れた数学者たちを残酷にもはねのけてきた。しかし、この難問を解決したアンドリュー・ワイルズは、7年間にわたり友人、家族との交わりを一切断ち、まるで独房の様な屋根裏部屋にひとり閉じ籠り、ひたすらこの問題を解き続けた。そして、ついに答えを獲得、しかしその喜びもつかの間、自分の証明に穴があることを発見した。再び1年間、屋根裏部屋に引き籠るものの、ついにその穴は塞がらず、いよいよ彼は証明を諦めることを決意する。そして「なぜ自分は失敗したのか?」8年間の研究を振り返りつつ、散らばった書類を片付け始めた1994年のある朝、彼の脳裏に真の答えがポッカリと浮かんだのだ。まるで、青天の霹靂の如く。 日々・月々・年々と積重ねた検証によってのみ証明される、と考えられてきた答えは、まるで「天の声」の如く、一瞬の閃きと共に舞い降りてくるモノなのだろうか?我々凡人には想像もつかない世界だが、何かに一点集中することで、人類の利益とでも言うべき大発見をする天才が、確かに存在しているのもまた事実である。「フェルマーの最終定理」を上回る難問だった「ポアンカレ予想」が解決したことで、一体どんな新らしい世界が開けていくのだろうか?これもまた我々凡人には知る由も無いが、こうして少しずつ少しずつ世界は新しい次元へとシフトしていくのであろうか。



refernce

wikipedia




text by HM

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