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  • Posted on
    2010.07.16
  • posted by kenshin.

Network & Communication



人間は、太古の昔からあらゆる方法で外部(他者)との通信や情報の共有を行ってきた。表情や仕草に始まり、音声や言語、文字や絵画、歌や音楽、祈祷や舞い等々...。
産業革命以降、無線技術や通信機器が急速に普及。特にここ30年間はデジタル化技術の著しい進歩によって、通信手段も飛躍的な発達を遂げた。その代表格の携帯電話は、1人1台時代に突入して久しい。
その昔、友人や彼女の自宅に夜間電話をかける際「誰が出るか解らない」という緊張感を押し殺し、恐る恐る受話器を持ち上げていたのが懐かしく思い出される。今では、時間帯や場所を気にせず電子メールを送れるし、待ち合わせ場所を特定しておく必要性も減り、通話に対しても緊張感は殆ど無い(誰が出るかは、予めわかっている)。また電車やバスなどの公共交通機関の車内では、乗客が小さな液晶画面に向かって指を動かしているのが日常の風景となった。
しかし、今なお手紙や新聞などに代表されるアナログな通信手段も現役であるし、近い将来消滅する気配も無い。ただ、情報を発信する側における「紙媒体」の存在意義は、この数年間で再定義される気配はあるが...。


米apple社が販売を開始したiPadや新型iPhoneなどを筆頭に、AmazonのKindleやAndroid OSを搭載した各社スマートフォン等の通信端末の可能性と将来性がいたるところで喧伝され、それに関する批評や議論も数えきれない。前述した雑誌や書籍などの紙媒体が販売で苦戦を強いられているなか、これらの端末はまるで救世主扱いである。

情報の共有にしても、固定電話回線を使用したADSLや光回線、ケーブルネットワーク、送電網(コンセント)接続、パケット接続(携帯電話回線)、Wi-Fi(無線LAN)、WiMAX(広域無線LAN)等、様々なインターネットへのアクセス手段が登場してきている。そして今や、ネットへのアクセス無くして、コンピューティングは語れない時代となった。


公安警察組織「公安9課」という架空の組織の活躍を描いた、士郎正宗氏原作の「攻殻機動隊」という作品がある(1995年、「GHOST IN THE SHELL」という題名で押井守監督によって映画化、世界的なヒット作となった)。

作中の時代背景は21世紀。第三次核大戦と第四次非核大戦を経て、世界秩序は大きく変化し、科学技術は飛躍的に高度化した。その中でマイクロマシン技術を使用して、脳の神経ネットにデバイス(素子)を直接接続する電脳化技術や、義手・義足にロボット技術を付加した発展系である義体化(サイボーグ化)技術が発展、普及。その結果、多くの人間が電脳によって直接インターネットに高速アクセスできる時代が到来。人間、電脳化した人間、サイボーグ、アンドロイド、バイオロイドが混在する社会の中で、公安9課がテロや暗殺、汚職などの犯罪に立ち向かっていく、という内容だ。この作品のTV版(神山健治監督)で主人公が名付けた造語に「STAND ALONE COMPLEX」という概念が登場するのだが、その理論構造が非常に興味深い。



作中では、電脳化技術という新たな情報ネットワークにより、独立した個人が結果的に集団的総意に基づく行動を見せる社会現象のことをそう呼んでいるのだが、1人1人は孤立した個人(STAND ALONE)でありながらも、集団的な行動(COMPLEX)をとることからこう呼ばれる。これは個人が電脳を介してネット接続し、不特定多数と情報を共有することにより、無意識下での意識が並列化されながら、ゆるやかな全体の総意を形成し、またその全体の総意が個人を規定するために発生する、という高度ネットワーク社会が舞台であるが故に起こり得る現象であると言うのだ。

例えばある事件において、実質的な真犯人が存在しない状態が全体の総意において架空の犯人像を生み出し、その架空の犯人像の模倣者(模倣犯)がその総意を強化・達成するような行動を見せる、という独特の社会現象が起きてしまう。要するに、模倣者が「自分こそは真犯人だ」と言いだす、もしくは疑い無くそう思い込んでしまう、または、真犯人と名乗る者が複数現れるなど...。

物語の中では、電脳から直接的に無線ネットワークを介して瞬時に情報交換をすることが可能となっており、特定の個人が見聞きしたり知り得た情報も、それを公開することで瞬時にあらゆる人がその情報を共有出来るようになっているので、意識するしないに関わらず知識の程度や思想の傾向が同水準である人間達による集合体が形成されてしまう。これがオリジナル(先導者)を喪失した個人(孤立した個)の集合体となり、更にハブ電脳(サーバーの様な役割)を獲得してより組織化するに至る場合もある、というものだ。


また作中では、この様な高度情報化社会にあって特定の個人を識別する本然的な基準とは何なのか?という問題提起もなされている。人間の肉体から生体組織を限りなく取り除く、あるいは機械で代行していった場合に、自分が自分自身であるために最低限必要な物、又は自分を規定するための比較対象やその境界とは...。人格や個性などを包括的に内包している生命体としての根源的な『魂』の様なものを識別できるのか?ある目的の為に誕生し、膨大なネット海で自然発生的に「自我」を認識し、他と自己を完全に識別する能力を持ち、主の命令を必要とせず、自身の行動に制約を持たない特殊なプログラム(例えばA.I.)を、1つの「個性(人格)」として認めるべきか否か?などなど...。


科学技術の進歩に伴い、ナノテクノロジーが急速に発展したとしても、マイクロマシン技術による電脳化の実現にはまだまだ程遠い現在、これと近い形の将来は必ず到来するであろうと予測できる。現に、全盲患者への視覚デバイスのインプラント埋込手術が行われるなど、義体化も着々と進んでいる。しかし、それらの技術や便利な機械の開発は、果たしてこの世界にどんな影響を与えるのだろうか?

あらゆる事象は「検索ワード」により顕在化し、ほぼ全ての個人は、無意識下で「誰かの意見・感想」という総意に、少なからず影響を受けている現代社会において、コミュニケーションとしてのインターネットアクセスは、今や無くてはならない行為である。これは、誰もが無意識的に行う「情報共有」なのだが、同時に並列化という集団的総意へのアクセスでもあり、それらの誘惑に惑わされず、確固たる自我を示せるのか?という疑念が、常に付きまとう。

人は「孤立」した個性として、ネットワークという無限の可能性とどう向き合っていくべきなのか?未だその答えは見つかっていない。



[reference]

攻殻機動隊 / 士郎正宗 作

wikipedia


text by wk

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