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  • Posted on
    2008.12.08
  • posted by kenshin.

捨てられた都市とカーゴカルト

かつて、南太平洋のある島に急遽、巨大な都市が現れました。都市は数年で 捨てられ、大量の物資と奇妙な予言が残されました。

■ 都市の出現
南太平洋に浮かぶサント島はバヌバツ共和国を構成する諸島のうちの一つで す。元々、周辺の島々には独自の社会を持つ人々が暮らしていましたが、18 世紀末以降、西欧各国によって植民地化され、第二次世界大戦中には米軍の重 要な戦略拠点となりました。
1942年、ソロモン諸島に展開していた日本軍に対抗する為、米軍はサン ト島南部のルガンビルと呼ばれる地域に、急ピッチで基地を建設し始めました。 その結果、たった2年間ほどで、小さな集落しかなかったルガンビルに10 万人以上を擁する基地都市が出現しました。街には4つの病院、5つの飛行場、 多数の宿舎、軍事工場、テニスコートや運動場が作られ、実に50軒以上の映 画館があったと言われています。終戦までにルガンビルの街には50万人以上 の兵士たちが出入りしました。当時のバヌアツの全人口が5万人に満たなかっ たことを考えると、その規模の大きさが窺えます。


■ のこされたもの
やがて終戦となり、米軍は母国に引き上げることになります。その際、彼ら は都市に持ち込んだ大量の物資のほとんどを廃棄していきました。トラック、 ジープ、事務用品、食器、冷蔵庫、衣服・・・あらゆる物資が海に投棄されま した。投棄された物資で4ヘクタールもの(甲子園球場とほぼ同じ広さ)埋め立て 地ができる程でした。
米軍が大量の物資を投棄した場所は、ミリオンダラーポイントと呼ばれるよ うになりました。島民たちはこぞってミリオンダラーポイントに投棄物資を拾 いに訪れました。基地のあったサント島だけではなく、周辺の他の島々からも 物資を拾いに来る人が絶えなかったそうです。
ある島民は当時の様子をこう回想しています。
「 我々はカヌーに乗ってミリオンダラーポイントに来た。 何でもあった。
アメリカ人は持っているものを何でも捨てた。(中略) トラック、木材、マットレス、ズボンなどがあり、みんなここで生活した。
何かが足りなくなったら、ここで欲しいものは何でも見つかった。
そして欲しいものを持って行く事ができた。
こんなものを見た事もない。
我々は、それがあまりに大きかったので見て驚いたのだ。 」
 (MooN,M&B.Moon / Ni-Vanuatu Memories of WWⅡ)

かくして、米軍は、たった数年間で都市を建設し、大量の物資を残して去 っていきました。ルガンビルの街は一時的にほぼ廃墟と化しましたが、現在 では約1万1千人の人々が住んでいます。それまで農園と小さな集落しかな かった島民たちにとって、米軍が捨てていった街と物資はどのように映った のでしょうか?いずれにせよ、インパクトは相当強烈なものだった思われま す。
米軍が残していったものは、物資だけではありませんでした。戦後、バヌ アツの島民の間で次のような奇妙な予言が囁かれるようになります。
「 いつかアメリカから物資を沢山積んだ飛行機が訪れ、自分達を幸せにし てくれる 」
予言を信じる者たちは米軍兵士のまねた衣服を着、竹でつくった銃を持っ て行進をしたり、星条旗を掲揚したりしました。ココナッツや藁で飛行機や 管制塔を作り、物資を満載した飛行機を迎える準備をして待ち続けました。

木材で造られた飛行機




■ カーゴカルト
このような「いつか海の向こうから大量の物資を満載した船や飛行機が訪 れ、自分達を幸せにしてくれる」という予言を信じる信仰はカーゴカルト(積 荷信仰)と呼ばれるもので、米軍の来訪以前から、西欧各国の植民地となっ た南太平洋の島々には見られていた信仰でした。白人による支配の下、島々 の伝統文化は衰退し、それまであまり顕著ではなかった「持つ者」と「持た ざる者」の差に島民たちは苦しむことになりました。そのような中、白人が 船や飛行機で運んでくる物資(カーゴ)を自分達が獲得することで、自分達 にも幸せと救いが訪れる日を待ち望む信仰が産まれた、と一説では考えられ ています。島民たちは精霊や祖先に白人たちを追放するよう祈り、カーゴが 自分達の元に届くよう様々な儀式を行っていたのです。
ミリオンダラーポイントでの出来事は、カーゴカルトの信者たちにとって は正に、物資が自分達に届いた「来るべき予言の日」だったと言えます。米 軍の来訪以降、バヌアツ周辺の島々では、カーゴを満載してやってくる飛行 機はアメリカからやって来ると信じられるようになり、カーゴカルト信仰は 活発になり、その一部は植民地からの独立運動へと結びついていきました。 しかし、その後、米軍は再び島々に現れることはなく、二度と大量の物資が 手に入ることはありませんでした。カーゴカルトは徐々に廃れていき、21 世紀までにほぼ消滅してしまいましたが、バヌアツのタンナ島では、アメリ カからの飛行機の再来を祈る祭りが今でも毎年行われています。 タンナ島の祭りの風景



来る事のない飛行機を待ち続け、物資さえあれば幸せになれると信じるカー ゴカルト信者たちの姿は、私達には奇妙に映るかもしれません。しかし、オー ストラリアの経済学者クライヴ・ハミルトンは、物資や資産の量が大きい程豊 かで幸せであると捉え、経済成長を無批判に重用視する現代の経済システムに、 カーゴカルトとの共通点を見いだしています。

「どちらも物質的な資産に魔力を認め、それを所有することで地上の天国を 実現できると考える。それを達成するのがより多くの富、より多くの金銭だ。 どちらにも予言者がいて、一般大衆に信仰を説き、これからもより多くのカー ゴが、より多くの金銭が到来して、信じる者に至福の境地をもたらすと説得す る役割を担っている・・・」(クライヴ・ハミルトン『経済成長神話からの脱却』)

ハミルトンの言葉を真摯に受け止めたとき、私達もどこかでカーゴの到来を 待っていないとは言い切れないのではないでしょうか?
(K)

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