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  • Posted on
    2009.10.04
  • posted by kenshin.

幇間




「幇間(ほうかん)」...「太鼓持ち」という言葉でよく知られた存在である。この言葉から、花街の「お座敷遊び」をイメージする人も多いだろう。

「幇(ほう)」とは、もともと助けるという意味を持つ言葉で、「間(かん)」とは人と人の間、すなわち人間関係を表している。この二つの文字から成り立っていて、人と人互いの関係を助ける、円滑にするという意味でそう呼ばれる様になった。
例えば、宴席で接待する側とされる側の「間」、お客同士やお客と芸者の「間」、お遊びの雰囲気が途切れた時、盛り上げる方向につないで行く「間」などを助けて、楽しく充実した遊興のお手伝いをするのが幇間業、いわゆる「太鼓持ち」の仕事である。
ちなみに、何故「幇間」が太鼓を持つ人という意味の「太鼓持ち」と呼ばれる様になったのか?
一説には、豊臣秀吉は天皇から賜った関白職を秀次に譲った後、太閤(たいこう)となったが、それ以来「太閤様」と呼ばれるのが常だったので、お側衆がご機嫌伺いをするという意味で「太閤様を持ち上げる」、それを縮めて「太閤持ち上げ」やがて「太鼓持ち」になったのだとか(由来は諸説ある)。また、宴席に興を添える職業の男、という意味で「男芸者」などとも呼ばれている。

そもそも遊里の案内人として遊客に同伴されていたのが始まりだったが、元禄~宝暦年間に、芸を用いて宴席の気分を盛り上げる職業人として独立・発展していった。一中節(いっちゅうぶし)や清元(きよもと)などといった表芸としての音曲を披露する幇間が多かったので、旦那(お客)や芸者からは、洒落を込めて「太夫(たゆう)」「師匠」などと呼ばれた。何故なら幇間は、表芸をそのまま演じるのでなく、それらを基礎として新旧の演芸、ものまね、声色(こわいろ)、舞踊、艶話などなど、その守備範囲も広く、それらを即興でより滑稽に見せるのが最大の特徴であり、腕の見せ所でもあったからだ。
当時の江戸では吉原の幇間が一流とされていたものの、大した芸事もできないで、客にお世辞を言って収入を得る卑屈な幇間もいたことから、人様の意見に反論もせず従い、ただヘラヘラと笑って付いて行く人を「まるで太鼓持ちのようだ」と表現されるようになった。
現在では「太鼓持ち」と言う単語すら殆ど使われなくなってしまったが、本来ならば「人間関係を良くして雰囲気を盛り上げる人」と言う意味で使われるべき言葉であろう。

元々は豪商の宴席を取り仕切り、座の進行自体に責任がある、という意味で「遊びの総合プロデューサー」とも評されるのが幇間業。しかし、戦後の税制改革で「お大尽(富豪や豪商)」もすっかり姿を消してしまった60年代以降の日本は、経済発展に伴って皆が中流意識を持ち始めた時代。
70年代に入ると「カラオケ」ブームが到来し、それがお座敷遊びの中にまで入って来てしまい、芸者さんがコンパニオンに押し出されるかたちで需要も激減し、太鼓持ちに至っては、今や日本全国でたった4~5人程の絶滅危惧種となってしまった。 現在も、芸者 と旦那の間を取り持つ...、座がしらけないよう気配りする...、座敷では、屏風芸(屏風を使って半身を女、半身を男などに見立て、入れ替わり立ち替わる、ひとり芝居)や「かっぽれ」、「娘さんとおばあさん」などが芸者の踊りの合間に披露され、座を沸かす。
芸者を引き立て、その場をキリッと引きしめるのも、幇間芸の大事な役割の1つだ。実は、芸者の踊りや唄ばかりが続くと、楽しむどころかかえって緊張感が漂い、お座敷が堅苦しくなってしまうのだとか。幇間の芸を間に入れて笑わせたりすることで座が和み、芸者も旦那も豊かな時間を過ごすことができる。そんなことの全てをひっくるめて、お客の求めには何でも答えるのが、今も変わらない幇間の役目だ。

日本文化として言う所の「遊び」という言葉の中には、自分の自由意志と好みや興味に従って好きな事をする本来の「遊び」の他に、あえて現実とは違う虚構の世界の中で狂人ぶる「戯れ」や、全て(仕事や人生も含め)を極め尽くす様な凄まじさの「荒ぶ」が含まれる。そこには、目的の遊びの奥義に到達するまでの過程をも楽しむ、到達できなくても、むしろそこへ向かう一歩一歩が大切、との意味が含まれているものと考えられる。
例えば、お茶は飲んでしまえば終り、茶碗も割れてしまえば終わり、お花を完璧な美しさで活けたとしても、やがてその姿は崩れ、花はしおれてしまうもの。いずれ消え去る運命の中にこそ、一時の出会いに対する感動もあろう。
仏教思想を色濃く反映している日本文化の中では、自然は常に変化し、命あるものは人も含めて皆死へと向かっている、と説かれる。そのことを、例外無く訪れる宿命として受け入れつつも「自分自身は今ここで生きている」という現実も同時に理解しながら、命ある限り精一杯生きる事への努力と感謝を惜しまず、でもやがては全て無に帰るという「儚さ」も同時に認識する。そんな「哀(あわ)れ」というニュアンスが、代々「遊び」の中に表現されてきた、と言うと少し大袈裟過ぎるだろうか?

簡単に何にでも「粋」という評価を下す現代日本の価値観を鑑みるに、ここに語られる幇間(太鼓持ち)ほど粋な存在もあるまい。
元々「脇役」として主役になった存在だけに、まるで己を殺すことでその場の雰囲気を支えることが、唯一自分の存在理由だ、ということを熟知しているかのように...。

「粋な生き方」とは、多分こんな生き方のことを言うのだろう。



text by wk

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