Culture

>> Culture : Home

  • Posted on
    2009.10.16
  • posted by kenshin.

幻の英雄 ボビー フィッシャー








テーブルゲーム チェス

世界では150カ国あまりの国で楽しまれており、ゲームとあると同時に「スポーツ」であり「芸術」であり「科学」とも言われており、頭脳のスポーツとして親しまれ、圧倒的なプレイヤーは賞賛をもって迎えられる。
世界中ではサッカー、オリンピック、チェスが人々を熱狂するスポーツとも言われている。 チェストーナメントの賞金も日本の将棋とは比較にならないぐらいの高額でその名誉だけでなく実利も多く、プロのチェスプレイヤーが世界でひしめき合う状況はかなりのもので昨年のスペインで開かれた「グランドスラム チェス ファイナル マスターズ」で若干17歳のノルウェー人のMagnus Carlsenが2位となり1100万円の賞金を手にしている、ちなみに優勝者は2400万円の賞金。

そんなチェス界で昨年の2008年に故郷からはほど遠いアイスランドの地でひっそりと生涯に幕を下ろしたアメリカ人の伝説的チェスプレイヤーがいた。

幻の英雄といわれるチェスプレイヤー、ボビー•フィシャー

彼は1943年アメリカのシカゴで生まれ14歳からチェスの全米選手権で8連覇、神童の誕生と呼ばれる。
1972年には当時チャンピオンであったソビエト連邦のボリス•スパイキーを相手に勝利を得て世界選手権の王座につく。

この勝利はアメリカの社会的に大きい意味をなす。

当時、世界は冷戦まっただ中でありチェスの王者は社会的にヒーローであった。その地位にいた世界王者ボリス•スパイキーをアメリカ人のボビーが勝利したのである。
冷戦の代理戦争とも言えるこの試合に勝利したボビー•フィシャーは英雄視される事となる。

彼が現れる前のチェス大会の賞金は数十万円程度の物だったと言われているが彼が現れてプレーを行うようになり数千万、数億円という賞金の単位になったと言われており、彼の出現によりチェス界は大きく変わったとも言われている。

1975年の世界選手権のタイトル防衛戦の運営をめぐり世界チェス連盟と対立し、対局を放棄。公式の場からは姿をくらませる。
しかしその17年後の1992年に米政府が国連の対ユーゴスラビア経済制裁決議を受け、米国人に対しユーゴスラビアにかかわる経済活動を禁止する中 突如、ボビー•フィッシャーはユーゴスラビアに現れ世界選手権の元王者であり因縁の対戦者ボリス•スパイキーと賞金335万ドル(約3億3千万)をかけて対局し勝利を収める。
この事でボビー•フィッシャーはアメリカ連邦大陪審に起訴され起訴状と逮捕状が出されお墨付きの罪人となることになる。
その後、彼は東欧、アジアを点々とすることになるが2003年この逮捕状を根拠にパスポートが無効とされる通告文がフィリピンにあるアメリカ大使館宛てにボビー•フィシャーの住所もなく、送付される。が、当時、彼はフィリピンに滞在していなかったため、通告文を受け取っておらず、何も知らなかった彼には通告文の受領後60日以内にできる不服申し立てができなかったと言われている、ちなみに本人が知らないままにパスポートを無効にすることは、アメリカの法律に違反していると弁護士は語っている。

2004年、日本に滞在中だったボビー•フィシャーは成田空港からフィリピンに出国しようとして入管法違反の疑いで茨城県牛久市の入国管理センターに収容される。 しかし前述したように、かれは偽造のパスポートを使用したわけではなく普通に使用していた旅券が米政府によって本人に知らされないまま、無効にされていたのは事実であり、強制送還を望む米政府とそれに追従する日本政府、それを何とか拒もうとする同氏の弁護団との間で激しい綱引きが行われていた。
彼は当初、日本政府に難民申請をしていたが当時の日本政府はアメリカの圧力もあり、難民申請を受け入れなかったという。もちろん、ボビー•フィシャーとしてもアメリカに送還されるという事は裁判を受け刑務所に送られる事は想像しやすかったのであろう。 しかしアメリカ政府の圧力下の中でアイスランド政府がボビー•フィシャーの受け入れを表明し、彼の入国を認め、居住許可を与えることを発表。旅券を保持してなくともアイスランドに入国できること、入国後希望があれば、外国人用の旅券を発給することも確約した。
これにより結果、日本の入国管理局は強制退去先をアメリカではなくアイスランドに変更することなるが、アメリカ政府の圧力下とアイスランド政府の狭間に立たされた法務省との紆余曲折をへてアイスランド大使直々チャーター機で成田まで迎えにくるという脱出劇の様な結末で出国する事となる。
この日本収監期間に文芸春秋に将棋棋士 羽生善治による「伝説の王者ボビー•フィシャーを救え」、朝日新聞・夕刊に「チェス王に日本国籍を」の記事が寄稿されたり、日本チェス協会の働きかけによる世界中からの彼を救えないか?という嘆願書の署名が世界中から寄せられておりチェス界の英雄を犯罪者にしないような動きがとられており、彼がアイルランド亡命に一役買ったのも事実である。

元世界チャンピオンであり因縁の対戦者ボリス•スパイキーがブッシュ大統領に宛てた手紙には「もしフィッシャー氏と同じ罪を犯した事になるなら私を捕まえてフィッシャー氏と同じ刑務所の部屋に入れて下さい。そのときはチェスセットを差し入れて下さい。」と書かれていたといいます。

冷戦やユーゴスラビア紛争などの時代のうねりに翻弄され、生まれ故郷の国からは英雄から反逆者として扱われた天才チェスプレイヤーは国策のチェスの駒のように生き方を強いられるのを否定し続けた英雄だったのかも知れません。


reference   BBC  ,  CNN  , 日本チェス協会home page,
text by keso

top