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    2010.01.04
  • posted by kenshin.

居留地の女王






アメリカ合衆国アリゾナ州ウィンドロックでは、毎年あるミス・コンテストが行われている。 1952年から続くこのミスコンにおいて、 昨年9月には第57代目となるクイーンが誕生している。
ミスコンというと、女性の容姿の美しさを競うイメージが強いが、 このコンテストは少し違っている。
参加者が外見的な美しさを問われることは殆ど無い。 替わって、参加者は観客と審査員の前で幾つかの課題をこなすことが求められる。 課題は年によって異なるが、 ある年は薪で火をおこし、粉と油からパンを作ることが求められ、 ある年は羊毛から糸を紡ぎ、織物を織ることが求められた。
2008年度のコンテストにおいては、 18歳から20歳の4人のファイナリストたちに与えられた課題は、 独力で羊の屠殺、解体を行うことだった。


この少し奇妙なミス・コンテストで優勝者がクイーンとして手にするタイトルは、 "ミス・ナヴァホ・ネイション"
ミス・ナヴァホ・ネイション・コンテストは、 全米最大のインディアン居留地、ナヴァホ・ネイションで長年愛され続けていると同時に、 アメリカンインディアン、ナヴァホ族にとって重要な役割を果たしているミスコンテストである。

ミス・ナヴァホ・ネイション・コンテストは、毎年9月初め頃に ナヴァホ・ネイション居留地で行われる祭りのメイン・イベントとして開催されてきた。
当初は単なる美人コンテストとしてスタートしたが、 開始から数年で参加者の外見的な美しさは審査項目から消えていき、 替わって、羊の屠畜などの課題が審査項目に盛り込まれるようになっていった。
なぜミス・ナヴァホ・ネイション・コンテストが独自のミス・コンテストへと変化していったのか? その背景には、アメリカインディアン諸部族が持つ悲しい歴史が横たわっている。

ナヴァホ・ネーションはアメリカンインディアン、ナヴァホ族が 一定の自治の元に管理しているインディアン居留地である。
ナヴァホ族は、18世紀にスペイン人より羊の牧畜を取り入れて以来、 とうもろこし栽培と羊の牧畜を主な生業としてきた部族である。
多くのインディアン部族同様、ナヴァホ族の歴史は合衆国政府による弾圧と、 抵抗運動の歴史であったと言える。
北米大陸へのヨーロッパ諸国の植民以来、インディアン諸部族は自らの土地を守るための戦いを余儀なくされた。

合衆国成立以降は、諸部族は合衆国政府に対し抵抗を続けてきたものの、 1890年代には組織的抵抗は沈静化し、全てのインディアンが居留地に追いやられた。
アメリカの大地の主役は、インディアン諸部族から合衆国市民へと完全に移り変わり、 それと共に、彼らの価値観や伝統は否定され始めることとなった。


インディアン諸部族にとってに致命的となったのは、 1880年代より本格化したインディアン同化教育政策である。 これによってインディアンの子供たちは、親元から離され、 キリスト教系教団の運営する寄宿学校に強制的に入学させられることとなった。 そこでは、インディアンの価値観を捨てるを強要された。

「インディアン問題の根本的な解決は、教育にある。
子供のうちからインディアンとしての自覚、民族性全てを剥ぎ取って、 アメリカ市民に同化させる。彼らを職業訓練し、産業化思考を教え込むべきである」


第一号寄宿学校となるカーライル・インディアン工業学校が、 この理念を掲げ1884年に創立されたのを皮切りに、同様の寄宿学校が全米各地に続々と建てられた。

これらの寄宿学校では、インディアンの持つ一切の文化が否定された。 部族の言葉はもちろん、キリスト教以外の信仰が禁じられ、 インディアンの伝統食や、伝統の遊びも禁じられた。

さらに子供たちは自分の名前すら取り上げられ、新たに白人の名前を与えられたのである。 この同化教育によって、インディアン諸部族の伝統は壊滅的な被害を受けることになった。
1960年代、全米で公民権運動が拡大する中、 全国インディアン青年協議会、アメリカインディアン運動といった、全米規模の抵抗運動が展開された。

これらの運動の結果、長きに渡った同化教育政策は見直されることになる。

寄宿学校は廃止されたものの、インディアン諸部族にとってそれで問題が解決された訳ではなかった。
同化政策により、壊滅的な被害を受け、滅びつつある伝統をいかに守り、復活させればよいのか? 寄宿学校により、親から子へ、代々伝えられてきた伝統の連鎖は既に断ち切られてしまった。 伝統を保持している者の多くは、既に高齢となっている。

そして、様々な技術、知恵、神話や伝統を伝える媒介である、部族の言葉そのものが 世代間で通じなくなってしまっていた。
部族語しか話せない祖父母、英語しか話せない孫、 家族の中で会話が成立しなくなった家庭も少なくなかったという。
部族語や伝統の復活は、インディアン諸部族の急務となった。
そして、全米各地の居留地で伝統の復活に向けた戦いが始まったのである。

そんな中、ナヴァホ族はミスコンテストを通して、 若い世代に自発的に部族語や伝統を学んでもらおうというアイデアを生み出した。 西洋式の美人コンテストではなく、部族としての教養や伝統を身に付け、 真に部族の代表として、若い世代のロールモデルとなるクイーンを選ぶコンテストとして、 ミス・ナヴァホ・ネイション・コンテストは生まれ変わっていったのである。


現在、ミス・ナヴァホ・ネイション・コンテストは 伝統的教養を問われるパートと、近代的教養を問われるパートに分かれている。
伝統的教養を問うパートでは、全てのやりとりはナヴァホ語で行われ、 参加者は羊の屠畜技術や、機織りといった伝統技術を披露したり、 神話の詠唱やスピーチを求められる。
近代的教養を問われるパートでは、やりとりは英語で行われ、 参加者はプレゼンテーション等を通して、 アメリカ市民社会で評価される能力や教養を披露する。
これは、クイーンに求めれる人物像が、独立した一人の女性として、 伝統的なナヴァホ部族社会だけではなく、アメリカの現代社会においても活躍できる ポテンシャルを持っていることが求められるからである。
コンテストの優勝者であるクイーンは、奨学金を得ると共に、 一年間の任期で、部族の親善大使として文化の復興に尽くす仕事に就く。
部族の代表として国際会議へ出席したり、 世界中の少数民族と交流するために世界中を飛び回ることも少なくない。

ナヴァホ・ネイション居留地は、多くのインディアン居留地同様、 貧しい家庭が多く、魅力的な就職先も少ない地域である。
そんな居留地内で育つ多くの少女たちにとって、 ナヴァホ族であることに誇りを持って活躍するクイーンの姿は、やはり憧れの的のようだ。
これまで誕生してきた多くのクイーンたちも、コンテスト終了後のインタビューで  "ミス・ナヴァホ・ネイションに選ばれることは、幼い頃からの夢だった" と語っている。
ミス・ナヴァホ・ネイション・コンテストには、毎年、居留地中から数多くの応募がある。
優勝してクイーンの座を得るためには、ナヴァホ語のマスターが必須であり、 様々な課題に対応するためには、何年もの訓練に裏打ちされた技術や教養が必要となる。
そして、それらは一人の力で身につけることができないものである。
第52代目のクイーンである Jannalee Atcitty は6歳の時に初めてコンテストを見てクイーンに憧れ、 その日から、いつかコンテストを受ける日のための準備を始めた。
家族からナヴァホ語を習い始め、7歳からは祖母に羊の屠畜を教わり始めたという。 彼女同様、クイーンを目指す少女たちは、幼いうちから、 家族や親戚、時には近所の人々からもナヴァホ語や様々な伝統を学んでいく。 ミス・ナヴァホ・ネイション・コンテストを通じて、 コンテスト参加者たちは自らの両親、祖父母、親戚、コミュニティの構成員から 祖先たちが長年培ってきたものを受け継いでいくのだ。

そして、どうやらコンテストを通じて少女たちが受け継いでいるのは 伝統や文化だけではないようだ。 歴代のクイーンたちの多くは、コンテストのために自らの言葉や伝統を学ぶうちに、 自分たちの持つ豊かな文化に気づかされ、誇りを感じたと語っている。
20代そこそこのクイーンたちが皆、国際会議や公の場で堂々と部族の代表の役割を果たすことができるのは、 自らの部族の持つ文化や伝統にプライドを持っているからかもしれない。 居留地のクイーンに選ばれるのは年に唯一人ではあるが、 その背後には伝統と、そしてプライドを受け継いだ多くの少女たちが育っている。 ミス・ナヴァホ・ネイション・コンテスト この少し奇妙で、素晴らしいミス・コンテストは、 次の世代へ、失われつつあった伝統とプライドを継承させつつある。





TEXT BY K.A

reference : http://www.missnavajocouncil.org/                  http://www.gallupindependent.com

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