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    2008.11.01
  • posted by kenshin.

『みんなが手話で話した島』 ノーラ・E・グロース著 佐野正信 訳

 国連によって採択された「国連障害者の権利条約」 が2008年5月に発効となりました。
この条約は、障害のある人々の基本的人権を促進・保護すること、
固有の尊厳の尊重を促進することを 目的とする国際的原則であり、
日本は2007年に条約に署名しています。
条約の発効は、障害を持つ人々の社会参加や機会均等を保障する上で重要な一歩となるでしょう。
例えば、この条約により、批准国政府は手話を公式言語として認め、
ろう者に対して、手話と母国語のバイリンガル教育を保障する義務を持つことになります。
 ここでいう「ろう者」とは、手話を主なコミュニケーション手段とし、他のろう者とアイデンティティを共有している人のことで、
一般的には音を聞くことができない人を意味します。

 ろう者の人権や社会参加を制限しているのは、単に聴こえないという障害ではなく、まわりの健聴者の世界との間に立ちはだかる言葉の壁である、という話を聞く事があります。
日本においても、ろうの人々と手話を用いて自由に会話ができる健聴者の数は限られており、手話通訳者の絶対数は不足しているといいます。
 近年、障害者が抱えるハンディキャップの問題の多くは、肉体や感覚、精神の障害そのものよりも、
社会的マイノリティである障害者に対する文化や社会のあり方、
つまりは差別や偏見、障害者の存在を考慮していない法律や制度の壁等から生じるのだと認識されています。

人類学者であるノーラ・E・グロース博士は、
-「ハンディキャップ」は文化によって生み出されるものである以上、
われわれはみな、それに対して責任を負っている。」

と指摘しています。そして博士はある島のユニークな文化についての研究を通して、
ハンディキャップの問題を考える上での、大きなヒントを示しています。


■「みんなが手話で話した島」
 アメリカはボストンの南にマーサズ・ヴィンヤード島という石垣島くらいの大きさの島があります。
ヴィンヤード島では周辺の島々と同様、17世紀に開拓者による移住が始まって以来、
農業・漁業を主体とした素朴な生活が送られてきました。
 しかし、たった一つ、この島にはどこにも見られない特徴がありました。
隔離的な地理条件と遺伝的な聴覚障害により、島では聴覚障害を持つ者が数多く産まれ、
そのことに見事に適応した独自の社会が形作られてきたのです。
ヴィンヤード島では300年以上に渡って、聴こえる/聴こえないに関係なく、
誰もがごくふつうに手話を使って会話していたのです。
島の健聴者の多くは、子供の頃に英語と同時にマーサズ・ヴィンヤード・サインランゲージと呼ばれる手話を自然と身につけていき、
英語と手話の二つの言語を併用しながら、生活を送っていました。

 20世紀中頃まで続いた、ヴィンヤード島の独自の社会は、外部からの移住者の増加に伴って遺伝的問題が解消され、
聴覚障害を持って産まれてくる者がいなくなることで失われていきました。
グロース博士は、島の古老たちの協力を得て、かつての島の生活を綿密に調査し、
その成果を『みんなが手話で話した島』と題した一冊の本にまとめました。
博士の調査によって、島では、聴こえる者も聴こえない者も何ら変わりのない生活を送り、
結婚や職業、収入、その他の殆どの面において両者には全く差がなかったことが明らかになりました。

 また、おもしろいことに、島では健聴者同士の会話においてもごく自然に手話が使われていました。
島民たちは相手がろう者であることを意識して手話を使うのではなく、話しをする際は知らぬ間に手が動いていたようです。
特に、漁の際の海上でのコミュニケーションに、
教室や教会のような場所でのヒソヒソ話に、
そして、男たちはご婦人方に聞かれるとマズい話をする際に、
手話は大変役立っていたそうです。

 博士は調査を通じて、島では聴こえない事は全く問題にならなかった事を明らかにしていきました。
その事実は島の老人たちの証言の中に雄弁に示されています。

- 「私は耳の悪い連中のことなんて、全然気にしてませんでした。
   言葉になまりのある人間のことを、いちいち気にしないのと同じです。」

-  (博士)「アイゼンとデビッドについて、何か共通することを覚えていますか?」
  「もちろん、覚えていますとも。二人とも腕っこきの漁師でした。本当に腕のいい漁師だったんですよ。」
    (博士)「ひょっとして、二人とも耳が聴こえなかったのではありませんか?」
  「あらまあ、言われてみればその通りでしたわ。お二人とも耳が遠かったのです。何ということでしょうね。すっかり忘れてしまうなんて」

ー あなたが小さいとき、きこえないというハンディキャップを負わされていた人々たちは、
   どんなふうでしたか、とたずねると、この女性は断固とした調子でこう答えた。
   『あの人たちにハンディキャップなんてなかったですよ。ただ耳がきこえないということだけでした』

 また、博士が調査を開始した時点で、既に島には一人もろう者はいませんでしたが、
老人たちの証言から、島のろう者たちは、聴こえない事を、
ちょっとした厄介事であり、大した問題ではないと考えていたらしいことがわかっています。

 博士は調査を通じて、ヴィンヤーズ島の住人たちは、ろう者も健聴者も含めて、
だれ一人、聴覚障害をハンディキャップと受け取らなかった事実を示したのです。

現在、ヴィンヤード島には、かつての島の生活を知る島民は今では殆ど残ってはいません。
しかし、かつてのヴィンヤード島の社会は、社会のあり方によっては
 "耳が聴こえない" という事実がハンディキャップにはならず、
 "ただ耳が聴こえないというだけのこと" になる得る、
そのことを実証してみせたと言えます。
この事実は、障害がハンディキャップとならない社会を人類が持ち得る、
その確かな可能性を我々に示してくれています。

text : Keisuke Asano




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