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    2010.11.10
  • posted by kenshin.

Racing Pigeon





伝書鳩(レース鳩)の歴史は非常に古く、紀元前5000年頃のシュメールの粘土板にも使用をうかがわせる記述があるという。また、紀元前3000年頃のエジプトで、漁船が漁況を知らせるために利用していたとも言われており、クレオパトラとシーザーも鳩でラブレターの交換をしていたという伝説が残っているのだとか...。

鳩は飛翔能力と帰巣本能に優れ、1000km以上離れた地点から巣に戻ることができるといわれている。ローマ帝国以降は、主に軍事用の通信手段として広く使われ、産業革命期以降に最盛期を迎える。第二次世界大戦時のイギリス軍は、約50万羽の軍用鳩を飼育しており、大戦中各国でも伝書鳩が広く使われた。その為、ドイツ軍が対抗手段として、タカなどの猛禽類を使って伝書鳩を襲わせたのは有名な話。また、近代になって新聞などの報道機関が発達すると通信用にも使われ、1850年のロイターの創業時は伝書鳩が主な通信手段であったと同時に、最速の通信手段でもあった。


使い方としては、遠隔地へ伝書鳩を輸送し、脚に通信文を入れた小さな筒(現在ではアルミ製が多い)を付けて放鳩。飼育されている鳩舎に戻ってきたところで通信文を受け取る。通信文だけでなく、伝書鳩が持てるような小さな荷物を運ばせることもあった。中でも僻地医療で血清や薬品等の運び手として伝書鳩が担った役割は、極めて重要であった。また、通信目的を確実に果たせるよう、同じ通信文を複数の伝書鳩に持たせて放されることが一般的だった様だ。鳩は、前述の通り1000km以上離れた地点から戻ることができるが、通常は主に200km以内での通信・運搬等に常用された。 電気を必要とせず、フィルムや薬品等、軽量な物資を運搬できるなど、無線通信などに比べ利点も多く、軍事用・報道用の通信手段として1960年代ごろまで広く使われたが、近年は通信手段の発達によってその役目を終え、現在では実際に物資の運搬に使われることは殆ど無くなった。呼称も伝書鳩からレース鳩へ移り、主にスポーツとして開催される鳩レースへ参加するため、愛好家が品種改良や訓練を行うことを農林水産省が統轄する使役動物となっており、脚環の装着と所有権登録、迷い鳩の引き取り、ワクチンの接種などが義務化されている。


日本での競技人口は約2万人前後と、若干マイナー感のある鳩レースだが、アメリカやヨーロッパでは一定の人気を誇っている。なかでも「バルセロナ・レース(世界三大長距離レースの1つ)」は有名な鳩レースの1つ。

これは英国の障害競馬「グランド・ナショナル」や、自動車の「パリ・ダカール」ラリーに匹敵する耐久レース。鳩の長距離レースで特殊なのは、ゴールまでの距離が一定でないことだ。出場する鳩の国籍はヨーロッパ全土にわたり、フランス、ドイツ、ベルギー、オランダ、イギリスなど様々であるが、鳩は帰巣本能により飼われている国の自分の鳩小屋を目指す。当然ゴールまでの距離はゴール地点により数百キロの差異がある。更に2日間にわたるレースのため、日没の22時頃から夜明けの5時頃までの時間、鳩は飛行不能となり森などで休む。この夜間の時間は差し引かれ、レースは到着までの総合時間から、夜間の時間を引き、スタートから鳩舎までの飛行距離から割り出した平均速度で競う形式になっている。各鳩舎の集計結果が出て初めて優勝鳩が決定する特色を持つのが、このバルセロナ・レースである。


バルセロナ・レースの出場鳩には特殊なゴムで出来たゴム輪を両足に取り付けることが義務付けられていて、この足輪を付けたレース鳩が、スペイン・バルセロナに集められ、一斉に放たれる。鳩は約1000kmもの距離を飛翔し、一晩森で休み翌日の朝、ヨーロッパ各地の自分の鳩舎に舞い戻る。戻ると同時に、足輪をビジョン・タイマー(記録時計)の中に入れ到着時刻が記録される。レース前にチェックされた記録時計は、一旦足輪を入れると、取り出す事は出来ない。足輪を入れると、内部の記録用紙に到着時刻が記入され、距離を計測して平均速度を出し、一番速度の速かった鳩が優勝となる。デジタル時代になってもあえてアナログ式の記録時計で計るという古典的なやりかただが、それがおよそ90年もの歴史と格式あるバルセロナ・レースならではのこだわりなのだ。


日本には飛鳥時代に渡来していたものの、伝書鳩として利用され始めるのは江戸時代になってからのことであった。近代では19世紀、大阪・堂島の米相場の情報を伝えるために使われた記録が残っている。また明治時代に入ると、軍事用として本格的に様々な系統の品種が輸入され、飼育された。1964年の東京オリンピックの開会式での放鳩行事や、漫画「レース鳩0777(アラシ)」等の影響で一時的なブームはあったものの、近年は漸減傾向にある。 また、1970年代を境に、鳩レースの平均帰還率は明らかな低下傾向を辿り、数千羽規模の登録レースでも、最終レースを待たず全滅することが各地で頻発した。これは日本特有の現象で、猛禽類が大増殖したのではないか?育種上外来種偏重かつスピード重視の改良(交配)が横行した結果?携帯電話の電磁波が影響?などとまことしやかに囁かれており、原因の究明も行われてはいるものの、はっきりしたことはわかっていない。

更に、新型インフルエンザ発生地域でのレース自粛や、鳥インフルエンザ、口蹄疫などの拡散といった新しい問題も起きており、日本の飼鳩環境はますます厳しいものとなっている。







およそ3000年前から始まった人と鳩との関わりは、王侯・貴族の趣味から一般人にも広がり、通信手段としても重宝されてきた。更にニ度の大戦でも重用され、人と鳩は大切なパートナーになったが、賭けの対象として利権が増大した現代のレース界では、優勝賞金もさることながら、優勝鳩となった品種との交配やヒナの売買によって、莫大な収益を手にする者も現れた。メジャーレースでの勝利という栄誉の陰で、ドーピングの噂が絶えないまま「人間の欲望」という風の中で、鳩は今もはばたき続けている。




[Reference]

Wikipedia

社団法人 日本鳩レース協会







text by wk

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