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    2009.02.02
  • posted by kenshin.

吉田 美穂    ~NYの児童福祉問題を通して見る社会の横顔~

KESO :  アメリカ NY でソーシャルワーカーとしてご活躍ですが、簡単に吉田美穂さんの所属する団体の規模やポジションとその仕事内容等を説明お願い致します。
 
M•Y : 一般には私たちの職種はSocial Woker(以降SW)と一括りだと思いますがど、アメリカのこの業界のプロ同士の間では基本的にSWの修士課程を終えてライセスを持っている人達だけをSWと呼びます。私は心理学と法律を一緒にしたForensic Psychologyで修士を終えてるので、厳密にはSWとは呼ばれません。ただし、説明が難しい時が多いので、簡単に"まぁSWみたいな感じ"なんて自分から言ったりもします。私は現在、NY市のAdministration Children's Service (日本では児童福祉課に相当すると思うんですけど)と100%契約を結んでいるノン・プロフィット(非営利)の団体に属しています。100%契約なので、市の児童福祉課が何かしらの手助けが必要と認めたNY市内に暮らす家族しかサービスは受けられません。主なサービス内容は一般で言うところの家族カウンセリング(ケースワーク・カウンセリング)、もしくは問題に応じて適切かつ様々なその他のカウンセリング・サービスの紹介、履行、さらには法律、教育、育児と家庭内で起こりうるありとあらゆる問題に対応します。私の属する団体の目的は大変シンプルで"子供は安全かつ健やかな育成が可能な家庭で成長するのが望ましい、そしてその家庭環境は可能な限り生みの親によって形成されるべき、私達のような団体を通してNY市内で里子にだされる子供の数を減らしていこう"と邦訳されるかと思います。ただし、残念なことですが、状況によっては私達が里子制度を活用して子供を生みの親の家庭から隔離、保護しなければならないこともあります。私達のところへやって来る(もしくは裁判所命令などで、来なければならない)家庭の問題は実に多様です。例えば、家庭内暴力、様々な虐待、精神病、アルコールや薬物依存、親の責任不履行(子供に何もしない、という事です。入学の手続きをしない、3才児に42度の熱があっても病院へ連れて行かない、etc)などが主な問題として挙げられると思います。今、私はこの団体でDirecotorと呼ばれる立場で、団体の管理、経営、促進と充実、またNY市児童福祉課との仲介を任されていますが、現場が好きで仕事は人との関係性の中に見出したいタイプなので、クライアント(サービスを受ける家族達)やカウンセラー(厳密にはケース・プランナー)達と一緒に過ごす時間が大切です。

KESO: なるほど様々な家庭で起こる問題によって親の責任不履行や暴力などにより子供の人権が侵害されていく事を阻止しながらも本来の一般的な幸せと言われている親子の関係を行政の力やカウンセリング等によりもう一度築いていくことを手助けするという感じなのでしょうか?
少し矢継ぎ早に質問してしまいますが、これは僕の個人的考えですが、例えば家庭内での親による虐待等で被害が被るのは子供であると思うのですが、虐待により深く心が傷ついった子供達が、トラウマを抱え、他人を傷つける、または成長し自分が子供をもうけた時にそのトラウマが原因で虐待を行う等 負の連鎖という物が行われるような気がしてなりません 要するに心に深く傷を負うのは被害者である子供であり彼らが次なる加害者となり得ない為に受けた計り知れない心の傷を完全にいやしていく作業というのは可能なのでしょうか?
僕個人としての希望的観測ですが人間は成長する過程の環境によって多大な影響を受けていき、人と関わる事によりその幼少時に受けた心の傷等が緩和されていくのでは?と思うのですが、その辺はどうなのでしょうか?あともう一つ、例えば里子の受け入れ先の家庭等、現在、そう多くないような気がするのですが、実際に里子の受け入れ先の家庭等といった物はほど多く存在する物なのでしょうか?その受け入れ先というのは全くのボランティアによって行われているのでしょうか?もしくはビジネス的に行われているのでしょうか?

M•Y  :幸せの定義は難しいですが、漠然とそういう風に理解して貰えたら良いと思います。私達が一番に考えるのは、子供達の安全な環境です。まず、安全な環境で安定性のある親のサポートがある家庭状況に近づけたいという事ですね。
負の連鎖を断ち切るのは、ご想像の通り大変難しいです。但し、自分がそう言った経験をしたからこそ、そこから学び、新しい家庭を大切に育てていくという人達もちゃんといるという前提の下にトラウマに関する話をすれば、子供達の人格形成、自己認識、バランスのとれた自己愛を育てる手伝いをして行きたいと私は個人的にこの組織内でのケースワーク・カウンセリング(ピン・ポイントで表面化した問題を解決するのを中心にカウンセリングを行う)に期待をもっています。子供にとっては親は完全な愛情与えてくれ、保護をしてくれる"はず"と言う存在です。それが自分の中で記憶が出来始めた頃からすでにその存在を失っている場合、当然のように自己の存在に対する疑問が生まれます。成長過程の中で、どういった形の虐待が何時、どのように起こるか、そしてそれは子供の成長段階においてどのように影響し、どのようなトラウマとなってそれからの人生に対する見方を形成しうるのか、といった事は発達・児童心理の普遍のテーマと言えると思います。残念ながら、私達の団体だけでは決して彼らの傷を癒しきれないでしょう。まずは経済状況です。NY市は一つの家庭にかける金額と言うのを一定内で済ませたいと思うわけです。税金から成り立っている訳ですから、当然といえばそうなのかもしれません。予算が無くなればカウンセリングも続けられません。決まった時間、予算の中で出来得る限りの事はして行きたいと思います、何故なら、私達の所へ来なければならない家庭というのは85%強で低所得者から貧困層です。保険も無く、親にカウンセリングなどの知識も無いことがあるので、私達の介入がない場合、家庭内暴力や虐待はいつまでも終わりがきません。
家庭以外の環境で救われるというのは多々あると思います。里親や施設だけでなく、友達関係や祖父母との関係また学校など、子供達には色々な場所で心の傷の緩和をする術を学び、自分達を成長させ、広げ、自己形成をしていって欲しいと思います。現在、私達の団体が直面する里親の問題は 1.子供との文化が里親と違い、里親が里子とのコミュニケーション不足になりがちであること、2.市からの給付金が目当て、もしくは依存している里親もいて、一人の親役につき多数の子供と言う環境では個人レベルでの人間関係が気づきづらいということです。
どちらもNY市ならではと思ところがあります。まず1の問題は、NY市内では黒人、ラテン・ヒスパニク、中国を主にしたアジア圏の順で里子に出されるケースが多いです。その中でも、黒人とラテン・ヒスパニックは突出して多いのが現状です。では黒人とラテン・ヒスパニックの里親が特に多いかと言えば、それはそうにはなりません。一番避けたい事ですが、子供が英語が出来ない場合もあるのです。そこでアングロサクソンの里親で、白人地区に住んでいる、英語しか話さない里親の元に出される子供は、その文化・環境の違いにまず戸惑いますよね。これはまた新たなトラウマを生むことにもなる場合があります。また時々、子供が生みの親の元へ戻りたくないと言うケースもあります。里親の元で初めて極貧の生活抜け出せた場合です。2の問題については、里子一人の市の給付金単価では、里親の方は働かずに生活できません。働かずに子育てをする場合、数人を同時に預からなくてはなりません。それについては、その里親がどういった信念や理想といったものに従って"里親という仕事"をしているのか、と言う事がおそらく最も重要だと思います。


KESO :なるほど、今現在、仕事上、どのような深刻な問題が表面化して現れてきていますか?この辺は日本とは違うなあとか、昔はこのような問題は無かったとかまさに解決の糸口が見つけにくい等と言った問題はおこっているのでしょうか?
 
M•Y :NYCは人種の坩堝です。常識も価値観も違い文化や生活レベル格差社会の中で"これが良い家庭、これが悪い家庭"といったルールを作る事は不可能です。ですが、経済的、文化・教育的格差社会において、多くの人達は今、自分の家族に対する希望や価値観とは?どういった家庭を持ち、子供には何を与え、子供は何を家庭内で学び成長するのか?と言う、自ら発信し自ら答える問題に正面から向き合う状況が減ったのではないかと思います。家族や子供に対する価値基準が周囲や社会との比較、もしくは相対性で語られるようになってしまったんだと思います。自己の中で形成されるべき家族というものに対する価値観の崩壊です。つまり、私達のクライアントの非常識なレベルまで行ってしまえば、2人の小さな子供がいる、一人は乳幼児、父親はおらず、母親はウエートレスで生活資金もままならない、でもIphoneだけは手放せない、だって周りの友達が皆持っているから。子供の食事は日に一度、なぜならIphoneの支払いが大切、そして子供が病院に栄養失調で運び込まれる、、、、また、父親が知能障害の子供を認められない、愛せない、でも外見は取り繕ってしまう、なぜなら良き父親としての自分に周囲がどう反応するか熟知しているから。でも知覚障害の子供やその子を産んだ母親は許せない、そしてそのフラストレーションは社会から隔離された"家庭"という檻の中で暴力としてその弱者に罰として与えられてしまう、そして子供の体中にできた痣をみた学校の先生が通報する、、、どちらのパターンも、子供にとってどういう親でありたいのかという事が考えられないという意味で"自己価値を持ち、さらに分かち合えるという成長した大人"でないという事に尽きると思います。同時に、自分が社会においてどう認識されたいか、という事には大変敏感で、そう言った意味では"社会を読みながら自分の状況を把握する"一大人"です。
私は個人的に、家庭は子供の最初に認識される社会だと思っているので(ただし、それは子供の生まれ持った境遇によるものです。子供が最初から孤児院なのであれば、そう言った施設がどういった社会構造を持っているかは常に影響力を持つと思われます)親がしっかりとした確固たる家庭という社会を作る意志があるのかと言うのがとても大きい事の様に思います。親も決して完璧でなければ、子供もその後、完璧な社会で生きていくわけではありません。すべては完璧ではないですが、最低限の基準、家庭内においては、愛情や教育はやはり欠かせません。子は家庭というのは親が何かしらの理由、意志を持って作った社会だと知っています。学校や会社社会と違い、家庭だけは、個人が個人の判断で、作り、また壊したりすることの出来る特殊かつ唯一の個人の価値観が大きく反映、影響を及ぼす社会です。それなのに、そこから個人の価値基準が失われてしまっては、家庭という社会には土台となるルールがないも同然です。
価値観と言うのは、何時、どんな状況で変化が起こるか?という事を考えた時、突発的な事故や死などを想像する事が多いと思います。つまり、想像に難くなく、カウンセリンで人の家庭に関する価値基準を変化させていくのは至難です。カウンセリグというのは基本、時間がかかります。では現在NY市はそれが出来るかと言う問題ですが、市が運営する児童福祉を通してでのカウンセリングでは難しいです。これは世界中どの市でもほぼ同じに難しいと思います。お金の問題も絡みます。
個人の意見としては、日本もアメリカも似たり寄ったりの問題を抱えているのではないかと思います。家庭はその人が生きる時代や社会背景にとっても影響されやすい、そこで今の日本やアメリカの抱える複雑な社会を考えれば、その推測は容易いです。ただし、歴史、文化や常識は違うところもたくさんあるので、問題の受け取り方、対処の方法は当然違ってくると思います。家庭の在り様を昔と比べるのは大変難しいです。これも、時代背景が異なると、社会論はめまぐるしく変化すると言う一般的な認識からです。昔は良かったと人は言いがちですが、これは常に、良かった場合を今の悪い場合と比べているという絶対条件があります。

KESO : 相当な根深い問題が横たわっている気がします。i phoneの件は全く信じられ無いような出来事ですね。 現在、マンションなど集合住宅等に暮らしている人達でも隣の家庭の事等はわからないとか近所付き合いが無い等、要するに地域社会に根ざさず、家族単位での社会との関わりを持つ機会が非常に狭くなっていると思われます。ましてやNYだと言語の違い、文化のバックグラウンドの違い、宗教観など複雑で多様であり、ポジティブな面としてはその関わりを持てば今まで自分たちの持つ事の無かった知識や文化などの広がりが大きく展開していく気がするのですがネガティブに作用すると孤立や閉鎖された家庭というな社会でしかなくなってしまう気がします。
吉田さんの持つケース等はそういう意味では異文化、言語問題、宗教観念の違いなど ルールが無い、マニュアルが無いケースが多く、スーパーフレキシブルさ、特に経験が重視されてくる気がします。
ただこのような様々な問題を目の前にケースによってはいろいろな決断を強いられたりした時に最優先で考える事柄や自分が判断を行う中で確固たる軸になる社会に対する考え方等はあるのでしょうか?
 
M•Y  :ああ、これは凄く難しいですね。常に考えている、考えざるおえない問題なんですけどね。スパーフレキシブルさと言うのは最も必要ですね。異なる文化、生活環境、生活・教育レベル、宗教、それらのファクターにオープンなマインドで接する、これはNY市でこの仕事をするにあたって、私の中では必要最低条件です。私事ですが、いま新しいカウンセラーを一人入れようと面接をしています。Open-MindnessとFlexibilityは必ず見極めたいところです。自分と違うものや考えに対する素直な興味、自分の考えだけに固執しない広い視野、あとは単純に人に対する根からの好奇心がある人を自分のスタッフにしたいです。私の判断は時に家族の関係、状況または環境を大きく左右します。本当に心底参ってしまう時もあります。その中で唯一私ができることは、相手を尊重することです。警察沙汰になり、私が親にとっては不利な証言をしなくてはならない時も、まず親に私が警察に話すこと必ず前もって話します。そしてその説明もします。それでも誤解はされ、親との関係が悪くなることもありますが、私達は児童保護法(妊婦から18才までに適用されるChild Protection Law)を守る立場にあることはできる限り伝えます。児童保護法が常に子供を救い、常に正しいと信じている訳ではありません、ですが、やはり法に逆らっては社会生活もままなりません。多種多様の社会の中で、多様性をを尊重し愛しみながら、法を生かして守られるべきを守っていけたら一番良いんですけど。

KESO : 質問が重複する感じになりますが、ずばり今現場では何が起こっているのでしょうか?
 
M•Y  :現在、NY市ではずばり費用削減が起こっています!層の厚い根深い問題を表面上取り除く、それが主流になりそうな予感です。NY市の児童福祉課の形態そのものが、現在大きく変わりつつあります。ここ1-2年の動きですが、これから2-3年の間にその変化は強化されていくと思います。

 
KESO :なるほど根本的解決というの言い方を変えればできづらいという事なのでしょうか? 個人的にはこのような層の厚い根深い問題は社会全体の問題、政治の問題など様々な構造からの改革等により深く掘り下げ解決していく問題であるような気がします。それは遠く、困難な道のりの気がしてなりませんが、、、
月並みですが我々がまずこういう問題が今、起こっていますという事をまず知っていくという事、認識するという事が大切な気がします。 日本のテレビニュースをを見ていて感じたのですが、こういった問題にはあまり触れられず、どうでもいいと思われるようなゴシップなニュースが多い気がしてならず少し首を傾げざるえません。 こういった今、こういうような問題等が起こっていますと知る事に対しての何らかのアピールできるような活動をNY市はおこなったりしているのでしょうか?
また、そこの経費を削減するという事においては広義においてNY市は弱者やそういった問題を抱えている人達を切り離す、または見捨てるという意味に思えてなりません。 その辺りについてのどうかんがえておられますか?


M•Y  : 同意見です。社会福祉、児童福祉の問題は必ず社会で起こっている政治・経済の問題と絡みます。経費削減も、今のアメリカの経済を考えれば当然の事となってしまうんです。
NY市でのアピールは凄いでしょうね。まずはNY市児童福祉課が2007年からやってるキャンペーンですよね。電車内でも1車両が児童福祉課のポスターだけなんてやってますから。同時にアメリカの方が、税金払ってるんだから市や州や国が助けてくれて当たり前的な感覚もあるように思われますから、何かあったときに福祉課などに相談し易さを持ってるかもしれません。日本ではまだ絶対数が少ないせいか、もしくは表立たないせいか、児童福祉関連のニュースはあまり無いようですね。老人介護や福祉はよく聞くように感じます。それは確実にアメリカ以上ですよね。でも確実に皆の関心は所謂、福祉やボランティアと言ったものに対して開いて来てますよね?希望的楽観ですかね?
NY市は切り捨てられないと公言するんですね、そして私は実際してるとも思いません。ただし、十分では決してない、それも分かっているけど、どうしようもできない、って言う事なのではないでしょうか。資本社会至上主義のままでは、決して根本において変わらない部分があるのだと思います。今の私達の社会の本質や限界が垣間見れるのも福祉の世界です。


KESO :なるほどお話を聞いていて 今、現在、日本での福祉の状態や現状などに当てはめてかんがえてみますと、日本では日本人をルーツとするブラジル人の方々や80年代のバブル期に日本に移民してきているアジアの人々などがもう既に日本2世、3世と日本に根ざしたりしており日本も民間レベルで国際化しておりNYほどではないにしろバックグラウンドが違う文化の方々が同じ土地でくらしているのも事実です。また日本人の親の責任不履行や暴力などにより子供の人権が侵害されていくニュースを良く目にします。 そういう意味で考えると日本でも児童福祉の問題は多様化、複雑化しているのだなあと感じるのですが、例えば児童福祉が今どういう状態に有るのかという情報や、問題が起こったときにどこに相談していいのか等、窓口や情報が極端に入りずらい状態に有るような気がしてなりません。
そういう意味ではアメリカと違い国民性もあるのでしょうが日本人は「税金払ってるんだから市や州や国が助けてくれて当たり前的な感覚」というのがあまり無く権利を主張していくという事には消極的である気がします。どちらにせよ国際化や多様な複雑な問題を先々から抱えてきたNYの児童福祉の問題はこれからの国際化、多様化、複雑化を確実に抱えるであろう日本の市町村や国の対応において大変参考になる物が多い気がしました。また個人レベルで考えたり、知るという機会においても、こういう問題はいつ自分たちにも降り掛かるかわからない問題でもある気がします。
例えばNY市であれば小さい子が一人で外を出歩く等という行為は州法により禁止され不履行の親は法律により罰せられますが 僕からすればそこまでしなければ行けないのか?と考えたりしますが、逆に考えると子供の人権を守るという意味において何かしら真剣に考えだした答えという意味では様々な問題への関心の高さとフレキシブルな発想と決断が行われているのだなあと感じざる得ません。
貴重なお話をありがとうございました。




吉田美穂

アメリカ ニューヨークにて学士・修士を取得。専門は法・犯罪心理学で大学院では人格障害を中心に学ぶ。市立や州立病院の精神科での経験の後、現在は社会福祉の専門職でありスペシャリストとして日本ではまだカテゴライズされていない分野の仕事「Child Preventive Specialist」に就き日々奮闘しながら活躍中。今は二匹のルームメイト(ねこ)、ヨガ、プエルトリコのビエカへの旅行計画に夢中。

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