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    2009.04.04
  • posted by kenshin.

松澤 文裕   バリ島に暮らす人々の価値観から






バリ島で僕は松澤さんとお仕事を通して出会い、本当に少ない時間だったのですが、松澤さんとの対話等で僕はすくなからず なにか新しい世紀に向けての生き方のヒントをこのバリの人達の生活の中に何かしらある気がしてバリ島に根ざして生活されている日本人。 バリでは外国人である松澤さんに少しお話を聞いてみようとかんがえた訳です。


keso  : 正直、僕自身はバリ島の歴史やジャワ文化について詳しくもなく、仕事でたどり着いたバリ島の最初の印象は「ああ、よくある 東南アジアのリゾート地だなっ て」いう印象だったのですが、町並みや、人々の暮らしなど移動中の車から見てみると、「あれ? なにかここってちがうなあ」と言葉ではなくFEELすると いうのでしょうか?なにか他のよくある南方の島やリゾート等とは決定的に違う何かを感じ取りました。その何かと言うのは言葉を整理できずにうまく説明ができないのですが、特に山の方のオリジナルバリの地元の人々が暮らすエリアに限ってだったのですが、、、なんと言っていいのか、、何者にも影響されないと言うか、宗教観念でもなくフィロソフィーと言う様な物でもなく、確固たる"何か"の理のもとに日々生きている気がしました。 長い間バリ島で暮らしている 松澤さんからみてこのように僕の説明できないでいる何かよくわからない"何か"っていうものってなんな のでしょうか?



FM  :きっと、それは、アイデンティティが確立されている、というような簡単なことなのではないかと思うんです。もっと荒っぽい言葉で言ってしまえば、自分勝手なエゴが確立されている。つまりは、"自分は自分"であり、それ以上でもなければそれ以下でもない、というような悟りのようなものが、深層心理の中に無意識のうちに刷り込まれているんだと、僕は思うんです。こういうことって、普通は簡単にできることではないと思うんですよね、いろいろなしがらみのある暮らしの中では、、、。でも、こういうことが、自分は自分だという、肯定的で、原則として他人に迷惑をかけなければ何をしてもいいじゃないかというようなエゴが、実は一番シンプルで、一番大事だったりして、そういう意味において、僕にとってはそれを成すのは困難だけど、彼らがそういう、自分は自分的なアイデンティティを確立しているということはある意味非常に人間的であり動物的でもあり、簡単なことなんだと、僕は思います。
例を挙げてみます。ビーチに大勢のバリの人々が宗教儀式のために集まっているとします。祭司さんの音頭取りで今にもお祈りがスタートするような状況で、人の良さそうな外国人観光客がカメラを抱えて申し訳なさそうに彼らの中に割って入って写真を撮ろうとするんです。その外国人は非常に申し訳なさそうな態度で写真を撮るわけですが、お祈りをしようとするバリ人の集団はそういう外国人観光客に非常に寛容で満面の笑みをカメラへ向けてくれたりするわけで、でも、それはよく言われるようにバリの人々が他者に対して寛容なのではなく、彼らバリ人にとってその外国人観光客は自分たちの世界の外の生き物でしかなく、そんな外の世界の生き物を彼らは上手に無視しているんですよ。無視できているがゆえの笑顔というか、無視できるというような究極の悟りもしくは余裕みたいなものが彼らの笑顔を生んでいるんじゃないかと思うんです。自分たちの世界の外の生き物に対して、自分と反対側にいる他者に対して、彼らバリ人は何の感情も起こす必要性を感じないんだと、僕は思ったりするんです。 ここで、少し話がそれるんですけど、"内と外"について考えてしまうわけです。バリの人たちは自分たちの宇宙を持っていて、確実に内と外を区別していたりするんです。その一方、外国人観光客はまるでバリ人の内側の宇宙に受け入れられたかのような錯覚を起こして、バリ人はスマイルが良くてフレンドリーだと高い評価をくだすわけですが、何のことはない、バリ人は外国人観光客を自分たちの"内"側へ招き入れたようなことをしておきながら、実は内と外の別をしっかりと保っていたりするわけです。所詮外国人観光客は彼らバリ人の外の世界にしか存在しえないんです。ですから、バリ人の優しいスマイルをもって彼らのホスピ タリティーみたいなものを高く評価する多くの観光客というのは、彼らバリ人の持つ、彼らバリ人が匂わせている確固たる"何か"になんて気付けていないものなんだと思います。そして、バリ人は、彼ら同士の中でも、自分という個人、ある意味独りな、孤独な孤人としての自分を内に置き、自分以外のすべてを外に置くようなところもあるように、僕は感じるんです。 ここまでのアイデンティティの話ですが、ここまでの話のベースには、バリ島の地理的地形的気候的要因が強く横たわっています。赤道直下にあるバリ島という、海があり、平地があり、山があり、乾季があり、雨季がありというような恵まれた自然環境が、まるでこの島がひとつの宇宙であるかのような状況を作り出し、きっと、ある種の単体として確固たる独立を成し遂げているのかもしれません。そんな単体として独立した独自の宇宙の中に暮らし、内と外をドライなまでに区別して、"自分は自分"であるというアイデンティティを確立しているバリ人が、空気の色や匂いに気付ける一部の人間にとって『確固たる"何か"の理のもとに日々生きている』ように映るのは、至極自然なことなのかもしれません。








keso   :なるほど。外国人から見る、そのバリ人のホスピタリティーであったり、宇宙観であったりというとこは意識はせずともいわゆる国民性と言うか島民性見たいなとこから自ずと来てるみたいなと言ったとこなのでしょうか? 確かにバリ島に置ける地理的、気候的要因のと言う点は、大陸ではなく、ある意味閉鎖された環境の"島"が特殊な環境のもとに成り立っていて、人間と言う 一動物としてその環境に適応したような暮らし方、生き方を営み、その上で代々から織りなされてきた文化や人々、暮らしぶりから放つ匂いや雰囲気が大陸的なそれとはまた違うというのも文化人類学的にとらえるとごくごく自然な事であるのでしょう。そういう意味では僕たち日本人なんかもまさに島々の人々であり地理的、気候的要因において、バリ島とは気質は違えど特殊な島国気質や、かなりオリジナルな文化を持ち合わせていますが、松澤さんはその島国、日本から訪れて、バリ島に暮らしていますが、バリ人ではない、バリで育ったわけではないという、実際、地域に根ざした外国人としてある意味特殊な目線としての相容れない物や事、逆にこうい う所は共感できる、見習う物がある、と言うような事はありますか?


FM   : たくさんありますね。うまく思い出せるかどうか(笑)。同じ島国気質を持っているはずなのに相容れない物や事、というか、えっ、と驚くというか、信じにくかった出来事っていうのは、いくつか思い出せますね。かなり前のことですけど、僕が長くお世話になっていたロスメン(ゲスト・ハウスみたいなところ)で、 いつも同じ部屋からお金が紛失するんですよ。大家が同じ敷地内に住んでいるその宿泊施設では当時、ルームボーイが僕も入れて3人。僕以外はすでに長い間ここで働いている男の子でした。そんな状況で度々紛失事件が起こると、白黒はっきりつかないものだから、お客が泣き寝入りとなって出て行くのが常でした。 そんなことが数回続いて、僕の耳にも噂が届くようになりました。どうも、ルームボーイのうちの一人がやっているらしいんです。それを、回りの若い連中は知っているんだけど、何も言わない。大家家族は一様に、その部屋だけは呪われているからお払いをしようと真剣に考えているわけですが、現実的な何の解決策も施されない......。 このケースから僕が思ったことは、対外国人宿泊客に対しては、ロスメンの大家家族と外から働きに来ているルームボーイは同じ内側にいるわけです。外に対して 自分たちの非を隠そうとする。そして、その土地の若い連中にとって、外からやってきたルームボーイがしでかす悪事は外の世界の出来事でしかなく、結局どうでもいいような物事でしかないのかな、なんて思うわけけです。きっと、どうしてあの部屋からだけお金がなくなるのか、犯人は誰なんだろうかなんていう、物事の正誤なんてあまり大した意味もなく、そんな事実関係の実証よりも、バリ人にとっては、内と外の関係性に思考をめぐらせることのほうがより根本的で、より潜在的で、より簡単なことなんじゃないかと、思うんです。 そのほかには、僕がいわゆるアパートみたいなところで一人暮らしをしていたときのことです。ある日、知り合いの女の子が僕の部屋を訪ねてきて、僕は彼女を部屋へ入れるとドアを閉めてしまったんですよ。わずか4畳半ぐらいしかないその部屋の中で、僕が家賃を払っているから僕がどうにでも使えるその部屋の中に、 友人を招き入れただけなんですよ。そのアパートで僕はついさっきまで、まるで大家家族の一員であるかのように可愛がられていたんだけど、その女性の友人が 僕の部屋を出た直後からすべてが変わりましたね、180度。その僕の友人はオートバイで僕のアパートまで来てくれてたんだけど、いざオートバイのところへ戻ると、タイヤの空気が抜けてたんです。パンクじゃないんです、よ。彼女はすべてが分かったという感じで、心配する僕を励ますように笑顔を作るわけです。 そして僕もその後の1週間ぐらいの間、大家族制の大家家族の誰とも口をきいてもらえませんでしたよ......。 異性を部屋へ招き入れるときは、ドアを閉めないのがマナーだと後で知ったのですが、それだけじゃなく、僕はきっと、大家家族に、ほんとうに彼らの内側の世界にまで入らせてもらっていたのかもしれません。普通はそんな風に干渉されないと聞くこともありましたから。彼らの内側の世界、彼らの宇宙へ本当に招き入れられたのに、そんな大家家族の存在を忘れるかのように外の世界と繋がった僕は、駄目だったわけです。 この2つの例はどちらも、内と外といったバリ人の世界観を垣間見れるようなものですよね。同じ島国である日本からやってきた僕にしても、バリ人ほどは内と外を意識しませんよね。







keso  : 松澤さんのおっしゃる「内と外」をかなりくっきりと分け隔てているのですね、反対に共感できる点や見習うことのできる物や事と言うのは何なのでしょう?

FM   :島国気質、村社会、小さな宇宙ということに関連してくると思うのですが、家族間での精神的な絆が非常に強いという点でしょうかね。バリ人は基本的に、家族というつながりを非常に大切にしますね。そして、家族から離れるということを極力避けようとします。生まれた土地にい続けることが大原則であり、仮に離れてしまっても、週に1回は必ず家族の顔を見たい、といった感じですね。実家との距離が、バイクで 片道2時間以上ながらも頻繁に実家に帰省するなんていうのも、十分に普通の距離感ですね。 誤解されないように補足がしなければなりませんね。 僕は別に、日本人は家族間の精神的なつながりが弱いと言いたいのではなく、何て言うのか、バリ人はもっと根源的なレベルで、理屈や情緒や感情ではなく、家族というのは物理的に近いところに、同じ宇宙にいなければならないと無意識のうちに認識しているんだと思うんです。
家族との内と外、ということになると思うんですけど、随分前にこんなシーンをテレビで見たんです。ある有名な芸能人男性が麻薬で捕まって、テ レビ・カメラの前でその男性の奥さんがテレビ・レポーターの質問攻めに遭うんですけど、その奥さん、こんな風に叫ぶんですよね、テレビ・カメラに向かって。「ファンの皆様には大変ご迷惑お掛けしました。でも、信じてください。主人は、主人は家では、本当にいい父親で、いい夫なんです。本当にいい父親でい い夫なんです......。」と。 この映像を見ていた僕はそのとき、すごく気持ちの良い違和感と言うんでしょうか、"そうか、事実の善悪とは別に、家族は身内犯罪者を守ってもいいんだ"って いうようなことを思ってしまったんです。日本などではその昔、麻薬を止められず、暴力に訴えて止まない自分の息子を警察に通報するような親がいたように記憶しています。善悪の倫理が親子関係という情緒や感情に優先されるわけです。そして、子供の将来を思って警察へ通報する父親が、メディアの力によって異常なごとくに美化されていくんです。 こんな日本の現状って、かなり大変ですよね。動物としての、情緒的、感情的感覚や衝動が優先されるのではなく、同じ人間が偶然に、そして暫定的に作った法律によって、すごく無機質的に物事の白黒をハッキリさせなければならない。ルールとしては格好がいいけど、僕たちって普通の、ただの人間なんですよね......。 過ちを犯した自らの家族に対して、その家族自身が弁護にたてないようだとしたら、その家族自身がそばにいてあげられなかったら、一体誰が弁護に立ってそばにいてあげるんだろうかと、ようやく思うようになってきたのです。家族が自分の家族を、動物的、感情的に守らなかったら、一体誰が守ってくれるんだろう か?と。別に犯罪者をかばえというんじゃなくて、そういう善悪の問題じゃなくて、家族って何なの、みたいな"原"のところをもう一度、バリ人から見習えるのかなと、思ったりするんです。

keso   :松澤さんからみたバリ人の気質だったりここが面白いなあと言うとこだったりなにかありますか?

FM  : たくさんあるのですが、ひとつだけを挙げるのであれば、究極的に能天気&ポジティヴ、だと言うところでしょうか? 例えば、大学入学試験に失敗すると、" あの大学は僕の入るべき学校じゃなかったんだ"と真顔で語り、失恋すると、"あの娘は僕のための相手じゃなかったんだ"とつらつらと語り、交通事故で車が大破すると、"体が何ともなくて良かったね"と経済的損失にはまったく意識を向けない。 そのほかには、不安定な経済状況の中では借金無しに物を手に入れることは不可能だと考え、借金こそが働くための動機付けであるかのように考えている人も多いんです。まぁ、冗談交じりであるとは思うんですけどね。 それと、"しょうがない"というフレーズを多発することでしょうか。なにしろ、いろいろなことが"しょうがない"んです。そんな言葉は言い訳であるとか、逃避であるとか、いろいろな批判の言葉が簡単に見付かりますが、逆の視点から覗いてみると、非常にストレス・レスな巧みな生き方をしているようにも思えてきます。



keso :ストレス レスな巧みな生き方と言うのはまさに気になりますね、現在、日本はG7 の一員でありながら1ヶ月に2000人以上の自殺者がでており、教育崩壊、モラルの低下、など様々な問題を抱えています、まさにストレス大国である気がします。 バリ島のあるインドネシアはG7でもなく、経済的、政治的にも至極、安定している感じでもなく、僕からみると言葉はかなり乱暴ですが、バリの人々は経済市場主義のもと、お金や物質をを中心としたような価値観を中心として生きてる感じではなくもっと自由な感覚であり、生きると言う事に現代社会において、縛られるものなどから与えられるプレッシャーみたいな物からはもっと自由な感覚はある気がします。もちろん個人差はあるのでしょうが、そのストレスフリーな生き方には、なにか見えやすい物やお金での価値判断だけでない、例えばもっと家族を大切にとか、自分の生き方だとか形として見えにくい価値観のもと生活が営まれてる気がしますがそのへんはどうお考えでしょうか?


FM   :生まれてから死ぬまでの、人間の短い一生をどう捉えるのか、みたいなところなのではないのでしょうか? 宇宙的な時間の流れから見ると、僕ら人間の一生なんてほんのわずかな一瞬でしかなく、本当に一時的にこの世に生を受けて生きているわけですが、そういう風に捉えると、そんな一瞬の時間の中で、お金持ちだとかそうでないとか、名誉ある社会的地位を獲得できたかどうかなんていうことは、まったく重要なことではなく、そんな執着心なく、ひたすらに与えられた環境に対して感謝していくような生き方が、きっと本来的な生き方なんじゃないかと、僕は思ったりします。バリ人はよく口にするんです、「あの世にお金は持っていけない。」と。 それに、もともと、裸で生まれてきたわけですから、何も持たずに元の場所へ帰ることを怖がることはないんですよね。それに、死というものをどう捉えるのかといったことも大事になってきます。一人の人間として、自らの死に対する明確な定義付けができて初めて人間は、生を充実したものにすることができるんじゃないかと僕は思います。 神から与えられた物事をあるがままに受け入れて感謝する姿勢、死に対する無意識かもしれないながらの定義認識による恐怖心の排除みたいなものが、、バリ人のストレス・レスの一因なんじゃないかと僕は思います。







keso   :お話を伺い、僕自身バリの人々の宇宙観と言うか「内と外」と言う概念であったりストレスとのうまくつきあい方、家族との接し方などうまくバランスを取っているなあと言う気がします。 特に家族との会話やつながりがどんどん薄くなってきている日本の昨今において、バリ的な家族との絆の大切さみたいな物を感じます。そちらの家族にまつわるようなお話を聞かせて頂けますか

FM   : いわゆる言葉の言い回しになるんですけど、よく、言うんです、こちらの人は、「この子自身がまったく才能ないのよ......」と。僕はすごく日本人的なのかもしれないんですけど、ある一人の子供の成長って、ある意味、その子の親に掛かっているようなことろがあるように思っていたんです。親がどこまできちんとしつけられるのか、親がどこまで子供の勉強の面倒を見られるのか、親がどこまで子供にいろいろな話を聞かせていろいろなことを教えられるのかなど、すべては、基本的にという条件付きで、親次第なんじゃないかと、僕は思っていたんです。子供が学校で良い成績を残せるのは幼少のころから親のサポートがあるから。子供が満員電車の中でお年寄りに席を譲るのは、親のそうしたしつけが行き届いているから、など。 ところがバリ島では違うんです。親が宿題の面倒を看ないからじゃなくて、親が礼儀や道徳を教えないからじゃなくて、その子供自身が悪いんだと、その子ども自身の学ぶ力が弱いんだと。親の親としての責任云々の前に、その子供が一人の独立した人間として見られているんです。誰々の子供、というアングルではなく、何某という名前の誰である、というアングルから子供を見ているんです。しかも、こちらの子供は生まれてすぐに、誰の生まれ変わりなのかを交霊師のような人に教えてもらうんです。例えば、僕の子供で言えば、彼らは僕の子供である以前に、誰かの生まれ変わりであり、神様からこの世に生を授かった一人の生き物なんです。そして彼らは、ある意味偶然に、僕の子供として生を授かって生まれてきただけなんです。だから、彼らは僕の所有物じゃないんですよ。こんな感覚、バリの人たちがどこまで顕在する意識の中でイメージしているのかどうかは定かじゃないんだけど、そういう親子関係みたいな、家族関係みたいなものを、僕は感じるんです。 例えば、自分の父親が癌を患っているとします。でも父は、近代医療やいわゆる薬を信用せずに、祈祷師のところへ行って治療している。この父の心理の裏にあるのは、手術への恐怖心や医師から最終判決への恐怖心であったりします。近代医療や薬を信用しないというのは父の単なる言い訳で、本当はただ単に怖いだけなのかもしれないわけです。そうれならそれで、父にしっかりと状況などを説明して、ちゃんとした病院へ行くべきだと説得するのが家族のすべきことなんじゃないかと僕は思ってたんです。父の癌完治と長生きを本気で希望するなら、家族は父をちゃんと病院へ連れていくべきだと。 ところが、実際は、その多くは違うようなんです。「本人が行きたくないと言っているんだからしょうがないじゃん。」と、誰もが無理して父を説得しようとはしないわけです。強制はしないんです。しょうがないんです、......。「えっ、どうして?? お父さんの癌が治らなくてもいいの? 引きずってでも病院へ連れて行って診てもらうべきだよ。」と僕なんかは思っていたりしましたね、つい最近まで。ところが、そういう強制やお節介は必要なかったりするんですよね、結局。なぜなら、癌を患っているのは父であり、父が自分の体のことを一番分かっているはずだから。そういうときって、本人の好きなようにさせるのが一番の特効薬だったりするわけです。 また別な例では、長子ではないけど長男である、ある子供の、家系後継人としての自覚の低さが、両親や姉たちや父方のおじさんやおばさんたちをイライラさせているケースがあるとします。そんな状況なのに、みんな、彼のいないところで彼の弱点を詰め寄ったりするのに、本人の前では何も言わない。本人へ教え諭すことをしない。なぜなら、それは当の本人が気付くべきことだから、他人から諭されるようなことじゃないから。 2つの例を挙げましたけど、そういう状況に僕は、なんていうのか、個々がそれぞれに放っておかれるというか、個々がそれぞれに良い意味で尊重されるというか、尊重される=責任を負うということでもあるんですけど、そんな家族関係をバリ人に見れるようになりましたね。また、家族構成員としての役割、親としての役割、子供としての役割など、家族という組織の中でそれぞれの役割を果たすことが非常に大事で、そういう役割を果たすという流れの中で、家族としての絆みたいな繋がりも出てくる、そんな風に僕は思うんです。 それぞれが家族構成員として役割を果たすためにある意味それぞれの役割を演じ切ることが期待されていて、そういう、家族を構成する構成員であるという関係性の中において家族としての固い絆を構築できる背景には、彼らが家族の構成員としてその個の部分を尊重されているからなんだと、も思うんです。家族という組織員であるためには個人として独立していなければならず、個人として独立できるようになるためにも家族という組織の組織員でなければならない、そうなんじゃないかと、僕は思います。 個人としてしっかりとした独立・自立を果たすこと、エゴ的に言えば"自分は自分"をキープするということ、そういうことと、家族という組織構成員であるということは、一見、相反するかのようで、実は表裏一体のような関係にあるんじゃないかなと。独立した個人であるためには役割の果たせる組織人でなければならず、役割の果たせる組織人であるためには独立した個人でなければならない、そんなことを考えるんですよね。バリ人家族を見ていると。

keso  : 僕からすれば子供に関しての話はすごい角度の話だなあと感じましたが、あながち否定する事でもない気がしました。まず、日本の60%は核家族として生活を営んでいます、複合家族によるバリのひとの生活環境と言う土台がこのような僕からみれば一見ユニークな思考形態になっているのでしょうが、現在、日本では、尊重や人権など声高に叫ばれているにもかかわらず、尊重や自由さは社会に対しての責任と言う意味に置いて果たされているのか?と言うような事を考えてしまいます。松澤さんの言葉を借りれば"尊重される=責任を負うと"いう社会の中の個人として独立ができる様になる為にも家族と言う最小単位の社会の中ででも役割をはたすという自然な訓練がなされている気がします。現在、我々の生活は様々に多様化、複雑化しているのですが、松澤さんのバリの人々のお話を聞いて、じつはもっともっと簡単な最小単位の事を見つめ直す事で色々と21世紀の生き方が見えてくるのではないかと感じてなりません。お忙しい中、貴重なお話ありがとうございました。





松澤文裕

神奈川県 横浜出身 偶然に観光旅行に訪れたバリ島に惹かれて、初渡バリから約11ヵ月後にはバリ島で生活をはじめる。 実際にこの島で家庭を持ち、人間とは、家族とは、生きるということはどういうことなのか?考える日々。 バリ島で暮らし始めたきっかけは、"優しく受け入れられたような"気がしたから。"後退の美学"とでも言うよう な、昔への回帰的な生活振りや思考振りや価値観振りに、人間が生きる上での"本来的"で"原"な姿を見い出すようになる 2009年でバリ島生活15年目に入る。


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