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    2009.07.12
  • posted by kenshin.

久保 友作 〜画家の感覚〜






N.E  :   なぜ画家という道をえらんだのですか?

Y.K (YUSAKU KUBO) :  「今日から画家になるんだ」みたいなはっきりしたスタートはないです。 物心つく以前から、絵を描いては母親に指示して部屋に配置していました。 根本はその延長です。選んだというよりは、自分の作品が溜まっていく感覚がたまらなく好きなんですね。だから続けています。 ですが、作品がお金に交換されて生活が成り立つ事を画家というのなら、僕はまだ画家とは呼べないのかもしれませんね。 職業を問われると画家と答えていますが、ただ面白い事をやり続けるだけです。



N.E  :  作品を拝見させていただきました。 すごくいろいろ感じさせられるというか、いったいなにがかくされているのだろうか、と不思議な感覚に陥りました。
ただただ魅了されるばかりでした。『フォトグラム』という作風自体も、とても変わった感じですが、なぜ今というタイミングでこの作品を発表されたのですか?
それから、マンレイやモホリ=ナジなどが一般的に制作されていたフォトグラムですが、 一見写真には全く見えない写真で、こうゆう土台に絵を描く事と、フォトグラム自体に込めた思いはどのようなことですか?

Y.K :  最初に遭ったフォトグラム作品は「瑛九」の作品で(「フォト・デッサン」とも言われてますが)、その他のフォトグラムは最近まで観た事がありませんでした。それで、面白そうなので写真家の友人に道具一式借りて作ってみたんですが、想像以上に奥が深くて、未だにやり残してるアイデアが沢山あります。 やり出した頃は「なぜ今なのか」と考えていなかったので、ハッキリ答えが浮かばないんですが、後付けで答えるとすれば、知ってる範囲では「今やってる奴がいなかった」事と、まだフォトグラムの可能性は「先人達にはやり尽くされていなかった」と感じているからですかね。 今はフォトグラムのレイヤー感覚はphotoshopで事足ります。むしろもっとコントロール出来るくらいです。 また、印刷技術も上がっているのでデータから印画紙に現像出来ますし、ほぼアナログと同じです。 そのせいなのか、積極的に暗室で印画紙とペンを持つ人は稀です。そこも快感なのかもしれません。 快感という意味では、印画紙に一旦描いた絵は感光後すぐ綺麗に流し落としてしまいますし、セーフライトのみで描くので、殆ど結果は見えてないですし「定着出来ないもの(砂や影や煙りetc)も描ける」という普通の描き方では経験出来ない事・感覚が多いので、まだまだ底が観えません。



N.E  : 5月に行われた『THE EXPOSED#4 PROJECTION』の反響はどうでしたか?

Y.K :  これは写真のグループ展覧会で、印画紙に直接絵を描くシリーズの作品14点程展示しました。 僕自身は印画紙の作品もやはり「絵」という感覚なんですが、結果が印画紙を現像したモノなので「写真」と解釈されていた事が違和感があり面白かったです。また、写真芸術の歴史上で「今フォトグラムを発表する事がどのような行為なのか」と考えさせられた事は、良い経験でした。 嬉しい事に評判は良かったです。しかし、写真作家の人達とはアプローチの仕方が違うせいか、作品の話になってもあまり僕には解らない感覚もありましたね。







N.E  :  「公の場で自分のクリエイティブを見てもらう」そういう機会は、私たち髪をクリエイトすることにも通じることの一つです。そういう意味で、作品を発表する事に対するご自身の特別な『思い』などはありますか?

Y.K :   順序があります。まず、創作です。 あるアイデアを、飽きるまで具体化し、少し落ち着くと発表したくなります。 感覚をシェア出来た時は何とも言えず気分が良いです。 ただ創作する上で、コミニケーションが目的になることはありません。「ただ忘れている」と言った方が近いのかもしれませんが、その繰り返しです。結果、展覧会で次を作る資金が溜まるサイクルになれば、より創作がスムーズです。 しかし、東京や海外に比べると、大阪はそのサイクルが少なく感じます。 音楽に関して言えば、規模に関わらずライブではお金を払います。絵やインスタレーションなど、俗に展示とされているモノは、まずギャラリー規模でお金を取る事はありません。ですが、見物料を取る=支払うという常識があった方が、より文化は育ち、良いサイクルが産まれやすいとは思います。これは考えというより「そういう仕組みなのだ」という感じでしょうか。



N.E :  今というタイミングは、地球規模の経済不況です。そんな中、特に大阪は経済だけでなく芸術や文化的な行いに対してあまり関心がなく感じるのですが、 ナゼそうなのか?どうしたら大阪という都市に「アート」という文化が根付くのか...。 久保さんは、大阪という街を変えていきたい、とは思いませんか?また、そうする為には何が必要だと思われますか?

Y.K :  大阪をこうしたいという規模で考えたアクションはないですし、今は作品を発表する以上の事は何もしていません。 本来作家というのは作る事に専念していれば良いとも思っています。 本当に大阪という街規模で変えるなら、まず一人では行動しないです。 作家、資本家、キュレイターなど、同じ志を持つ者が揃うと現実味が増します。 役割が分担されていれば早いし、そうなったら何か行動を起こすでしょうね。 それまでは、まず作りまくる訳です。そしてなるべくアウェイで発表し続けますね。
『olmypic』という自主出版社を、友人の作家達と立ち上げてはいますが、まず皆作家ですので、今は在庫(作品現物)を蓄えている段階です。 もしメンバーが揃えば、大阪に世界中の作家が集まる様にしたいですし、逆に大阪在住の作家が様々な土地へ多く進出する機会が増えれば最高だと思っています。 作家が集まるという事は、制作しやすく発表しがいのある環境になりますし、そうなれば刺激的で独創的な作家が大阪に増えてくるでしょうしね。




N.E  :  なるほど、理想と言うよりは、目標に近いですね。 ところで、芸術家にとって絵が売れるということは必要なことで、昔々はお抱えの画家で自由に絵を描かせてもらえる環境や、大きい会社がスポンサーについたりしていましたが、そういったある意味「恵まれた状況」や「自由な創作環境」をご自身に当てはめて考えたとき、現在の物や情報が飽和した社会をどの様に捉えておられますか?

Y.K :  ある程度環境は自分でコントロール出来ると思います。 そういった意味では、どんな時代でも取り込む感覚の数は殆ど変わらないと思います。でも道具に関しては様々な選択が出来る事が、意外と結果をつまらなくしているケースもあると思います。 新しい事に挑戦することは崇高なんですが、その分道具や行程ばかりに集中しすぎ「結果はたいして新しくない」作品も結構見受けられますね。これには時代を感じます。結局は自分次第なんですが、物が少ない時代には起こりにくい事だとも思いますが...。 時に、ルールや制約というのも、創作的な働きをすることがありますから...。








N.E  : 創作についてお聞きします。 私自身は自然に興味があり、常に緑に触れたり、直接肌で風を感じたりと、自分の「五感」と言いますか、人間本来の感覚を大事にしています。そしてその時々に見える側面、その時々の風の揺らめき、そういったことにインスパイアされて創作しています。私から見ると(勝手な解釈ですいません)、画家というのは「自由」作風、と感じてしまうのですが、何か起点の様なものはあるのですか? また、どうゆう風に想像し、どういった形で創作しているのでしょうか?


Y.K  : 一番最初の創作起源がいつだったのかは、思い出せないんですが、大抵のアイデアは以前の創作中に溜まっていき、また消化していきます。「思い」の消化は、創作(具体化)することなので、結局また次の「情熱」が溜まっていき、終わりがありません。良くインスパイヤされるのは「科学者」です。 特に「ニコラ・テスラ」は、多分に刺激的な存在で、創作意欲を掻き立てられます。 創作上の決まりもないですし、基本的に自由ですが、心掛けている事は「何かの模倣はしない」という事と、「山椒魚にはなりたくない」ということくらいですかね。




N.E : 「ニコラ・テスラ」という人物にインスパイアされるというのは興味深いですね。 彼は確かに人間の心を動かす力をもっていると思います。 それは彼が科学者として真面目に取り組み、世界にとってどうすれば「一番自然が豊かになるだろう?」とかといろいろな事を考えていて、それを行動に移していく素晴らしさを持っていたからだと思います。 彼は、エジソンをも凌ぐ天性の才能を持つ科学者でした。 ニコラ・テスラの閃きと、何歩先をも歩く、科学を超えた能力と自分自身に対するストイックさ。 彼は何かアイデアがひらめいたとき、それを具体化するのに、図面もモデルも実験も無しに、目の前に思い描く事が出来たそうですね。 そういう「ニコラ・テスラ」の行動、一つ一つのセンスにインスパイアされるのでしょうか?

Y.K :  最初は、テスラの有名な写真がきっかけでした。 自分が発明した巨大な装置が、四方八方バキバキに電気を発してる下で、椅子にすわって読書をしている写真です。 もう、かなり渋いなと。 で、色々調べてると、エジソンとの確執においても、人としてかなり「粋」なアピールの仕方をされてて、もう惚れ込んでましたね(笑)。 やはり、生き方のセンスなんでしょうか。そこに一番惹かれます。 まず、常識では無理だと錯覚している事を、サラッと常識にしてみせる所は、偉大な科学者の素敵な所です。 新しい発想とそれを具体化する技術とが両立している姿そのものに、インスパイヤされるのでしょう。




N.E  :  一見すると無駄に思える様な事や物でも、一瞬の閃きを産み出す為の「母体」と捉えれば、混沌にも意味があるのでしょうか...。 現代文明の礎を築いた天才科学者のアイデンティティーというか、ある種のこだわりを持っている人は、やはりかっこ良く、きらきら輝いているのだなと感じます。 作品にも久保さんのセンスと画家としての粋な考え、そしてストイックさが滲み出ているのだと感じました。 今後はどのような形で画家としての活動を続けて行かれるのでしょうか?


Y.K :  まず、描く事です。常に何か作っています。 それから今は、作品は持ち歩ける様な形態でなるべく作ってます。 一番多い方法は原画で本を作っています。 それを、場所をもった個展と平行して、場所の要らない個展を出来るセッティングを作ろうと考えてます。 それは発表する場所とタイミングを自由にしたいからです。 後、運動したいです(笑)。





N.E  : 『久保 友作』という一人の画家と出会えて、お話を伺わせていただきましたが。凄くいろいろと考えさせられました。 それはきっと自分にも通じる事なんだろうなと... 久保さんは作品を作り続ける事、ルールや制約の中で描き続ける事、常に自分を信じ続ける頑固たる意思、そしてそれを実現させる目標と行動力、フツフツと人間味が湧いて出るような画家であり、人でありました。 今この世の中で自分という価値がどれだけあるのかという現在の芸術家達。 飽和した状況の中でどれだけ自分の色を出せるのか、同じような作品の中で久保さんは『フォトグラム』という作品に芽を付け、昔の素材だから光り前に前にと花開こうとしている久保さんの作品を見てると、その創作意欲は伝染します。 こんな人たちが大阪にいてるという事は、まだまだ大阪のアートものびていけるんだろうと確信しました。 ゆっくりと確実に楽しい街になってゆけたらと信じています。
これからもいろいろと、展示会などを意欲的に活動して、もっともっと久保さんの絵のすばらしさを見てもらいたいですね。お忙しい中いろいろとお話に答えて頂いて本当にありがとうございました。




久保 友作 1980 大阪生まれ 画家 2007年は京都を皮切りに大阪、東京と3都市を連続で廻る個展を開催するなど、精力的に活動中。またTHE EXPOSED#4 PROJECTIONではフォトグラムという新たな試みで展示会で公開しかなりの評判だったみたいです。これからの久保さんの鬼才な創作活動にも注目です。
-----Exhibition----- 2000/8 『stereolympic』 2002/9 『Fax you』 2004/1 『Olmypic』 2007/4 『Onset and Course』 2007/9 『Re: Onset and Course』 2007/10 『Dark Room Manual』 2007/11 『Onset and Courses』 2008/4-2008/7 『七分儀 no.1』 2008/1-2008/2  iTohen企画 推薦作家展 ----Publication----- 2004 『three』[olmypic] 2007 『DECAPITRON 18 By Yusaku Kubo』[shoboshobo-books(PARIS)]
→ YUSAKU KUBO ARTWORKS  olmypic http://olmypic.net/index.html

TEXT BY   NE






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