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  • Posted on
    2010.01.18
  • posted by kenshin.

literacy




近年、インターネット、電話、携帯電話が普及し情報化社会が急速に進む今、私たちはパソコンの前に座り、ありとあらゆる情報を手に入れ、家の中にいながら、世界(社会)と繋がることができます。
日々の生活の中で、私は、パソコン、または、雑誌を見て情報を得て、車に乗り、または電車に乗って買い物に行き、ご飯を食べ、帰りにコンビニよってお菓子を買って家に帰ることがよくある。
この一連の流れは、ごくごく普通の事のように、疑問を持つ方は多くはいないのではないでしょうか。
この THE MAGAZINE を書いていて、ふと思ったのですが、雑誌を見る、車に乗り運転する、買い物に行き値段を見て購入する、飲食店でメニューから選び注文する、こうしてパソコンの前に座り、記事を書く、読む、これらすべては、文字を認識しなければできないという事になんら疑問を抱かずにいる人が多いのではないかと。
日本に住む私たちは、文字を認識し、理解することがあたりまえの環境に生まれ、普通な事だとして育ち、生活している。この社会が文字を前提に成り立っている以上、知識や情報など、その基礎には『識字』の問題があります。

『識字』とは文字や言葉の読み書きを学ぶ事にとどまらず、現在では社会生活を営むための基礎的な力や進歩する社会に自ら参加する知識や技能、更には社会を批判的に認識し変革していく力と定義されています。
世界では、UNESCOの推計(2008年)によると、成人の非識字者(読み書き できない大人)は約7億7600万人とされています。学校に通えない児童数(6~11歳の子ども)は 約7500万人います。
こうした非識字者の約90%は発展途上国と呼ばれる国々にいるのです。 学費を払う余裕がない、学校に行く時間があるならばその分子どもにも生活の糧のために働き稼いでほしい、といった理由で学校に行けなかった人や、非識字者の 3分の2である女性の場合だと「女に教育はいらない」と行った男尊女卑的な理由から教育を受けるチャンスを奪われる。
教育を受けていない親は教育の必要性を感じず、子供を学校にやりたがらないといったっ傾向があるといいます。
さらには戦争や内乱の犠牲になった人、少数民族、非敷居者は複雑で様々な理由から、学ぶチャンスを奪われるのです。

彼らの多くは非識字がもたらす悪循環で貧困から抜け出せずにいます。
貧しいから教育が受けられない。先ほど述べたように、社会が文字を前提に成り立っている以上、教育がないと(文字を読み書きできないと)職業の幅が狭まってしまいます。物価を比較して計画的に家計をやりくりしたり、家業を営んだりすることもできません。高利貸しに騙されたり、薬や物の使い方もわかりません。こうして教育を受けられない者は、社会的にも経済的にも抑圧された存在であり続けるのです。


文字は思いを伝えるものとして時には話す言葉よりも深く心に残る事があります。
手紙を書いた事、もらった事日本に暮らしてる私たちのほとんどが経験したことがあると思います。
私的な事なのですが、ある日、私の家に絵はがきが届いた事がありました。
その絵はがきにはお世辞にもきれいとは言えない字で私の名前と住所、そして最後に少しきれいな字で誇らしげに祖母の名前が書いてあった。
私の祖母も、戦時中、田舎の炭坑の町に育ち、字を書くとができませんでした。その事を知ったのもほんの数年前で、身内ですら知らないほど字を書く事が普通な社会で祖母も字を書けない事で自尊心を傷付けられた事も多かったと思います。自分の名前も書けずサインを求めらるたびに冷や汗をかき自分を恥じたのだと思う。
そんな祖母から送られてきたはがきには、住所と名前だけでしたが、祖母の思い、その背景が字に込められていて、とてもいいすばらしい手紙でした。
非識字者にとって。自分の名前を書けるだけで世界が変わるのです。今までとは違い、サインを求められても冷や汗をかく事も、恥じる事もなくなり、大きな喜びとなりそれが自信へとつながり、社会へ踏み出す大きな一歩になるのです。


参考資料 UNESCO
text by GM








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