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  • Posted on
    2011.02.10
  • posted by kenshin.

現代社会がチリ落盤事故から学ぶべき事とは?








世界中が固唾を飲んで見守った〝奇跡の救出劇〟から早数ヶ月。今では殆ど報道されることもなく、まるで何事も無かったかの様だ。しかし、本当に大切なのは、救出された33人の炭坑夫達をヒーロー扱いしたり、この事故をドキュメンタリー・タッチに映画化することではなく、2度とこの様な事故を起こさない為の対策を考えたり、万が一の場合に備えた救出方法を確立することにあるのではないか?そういった意味では、この事故から学ぶべきことは多い。


まず岩盤の強度と破壊に至る道筋については、銅鉱山特有の硬い岩盤というのが悲劇を拡大したようだ。通常、掘削刃をはじいてしまうほどの硬さならば、崩壊を想定することは極めて難しいと思われる。しかし、〝破壊の力学〟の教えるところによると、硬度の大なる物質ほど、せん断力(斜めに働く力)に弱く、一度亀裂が走ると、このひび割れは音速に匹敵する速さで岩盤内を走る。つまり一瞬にして数百トンの岩盤が崩壊したことになる。

それでも土質に弾性(伸び縮み)があれば、地盤内の力のアンバランスは徐々に吸収されて、全体として平衡を保つのだが、岩盤がこれだけ硬いと不平衡力を吸収する要素がないので、このことが逆に災いを大きくしてしまったと考えられる。人間でも堅物の人ほど僅かなショックで全体が崩壊するのに似ている。


上記の危険要因が表に出るのは、実に20~50年の長い年月がかかる。この種の息の長い災害は地震と同じで〝対数正規分布〟に従っており、必ず起こると分かっていても人間はついつい油断してしまう。特に経営者は1~2年の短いスパンでものを見る傾向にあるので、岩盤崩壊のリスクへの対策は分かっていても「手の打ちようがなかった」というのが現状だろう。特に2010年に入り銅の国際価格が上昇気味であれば、「この機を逃すな!」という思いには勝てなかったに違いない。そこで、中~長期的にものを見る安全技術者(地盤補強技術者)を冷遇した結果、専門技術者は会社を去ることになった。つまり安全技術者不在のまま操業を続けたことになる。

ここでは、この救出劇の数ヶ月前にもやはり別の落盤事故が起こっており、この鉱山の安全対策がいかにずさんなものであったかが伺える。また、通常鉱山内で働くためには、健康、体力、精神、労働経験をチェックをされるのだが、ここでは名前だけ聞いて翌日から入山させていたという事実もあり、給料が他よりも良い鉱山(危険が伴うので)で働こうとした素人も多かったのではないか?とも予測できる。


更に鉱脈の性質から、縦へ縦へと掘削を進めざるを得なかった、という点も、既にこのチリの鉱山はリスク対利益の分岐点を超過しており、廃山にしてもおかしくないレベルに達していたと推定される。そもそも鉱山というものは、深く深く掘り進めると生産性は落ちて、逆にリスクが増大する。例えば佐渡の金山の場合、坑道の総延長は佐渡から東京までの道のりに匹敵するといわれる。その深さまで掘り尽くすと、落盤の危険は増大し、その対策費用が経営利益を圧迫する。今後この鉱山でビジネスを継続するには、リスクマネジメントの骨組みが合理的と判断されるまで再開は困難であろう。それは他の鉱山についても同様で、危険のない掘削事業というものは、元来有り得ない。


そもそも災害は確率的に発生する。確率という言葉は「偶々(たまたま)、偶然」を連想し、とらえがたいイメージがあるのかも知れない。しかし時間幅を長くする(数年にわたり集計する)と統計となり、この全体から個別の災害を見れば、そこには「起こりやすさ(Likelihood)」の指標が計算され、予測可能となる。つまり、当然起こるべくして起きたことになる。しかし、通常の科学では、災害の時間的推移を追ってしまい「起こるべくして起きる災害」が見えない。世界の災害は、スイスやロンドンの国際保険業界が年度毎に統計をとっているが、それは毎年産業リスクが増大していることを示唆している。

もはや、いかなる危険性を伴うビジネスも、リスク低減対策無しに収益を確保することは不可能な時代になったというべきである。それは航空機であれ原子力であれ、陸運、海運であれ、同じことだ。時間を転換してものが見られてこそ、有効な安全対策を要求し確かめる資格を備えている、と言えるのである。

また、公害・健康被害についても一般の科学の適用には限界がある。科学は個々の命に絶対的な権威を置かない。言い換えれば、より多くのサンプルに対しての観察結果と因果関係の確実性を要求するのが科学だ。しかし、個人にとっては自分の命は絶対であり、何物にも代え難い。


人命はもとより、あらゆる生命と引換えに構築され、支えられてきたのが20世紀のシステムであるとするならば、21世紀はあらゆる仕組みやシステム、法律などが、地球上の全ての命を支える為に存在していることを再認識する世紀とすべきである。 その様な意味においても、「貧困からの解放」「機械文明からの解放」「人間を疎外したシステム化からの解放」が、今世紀の主要なテーマとなることは間違い無い。




















[Reference]


『設備安全工学』/ 清水久二著(横浜国立大学名誉教授)


text by wk

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