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  • Posted on
    2009.11.02
  • posted by kenshin.

出産という奇跡





昔は「弟が生まれて母親が亡くなった」とか「8人兄弟の中で、大人になれたのは6人」という話をよく聞いた。まさに日常生活の身近な所に生と死が同時に潜んでいたのだ。そんな理由から、多くの人にとって「出産がうまくいくことは一つの奇跡」だった。しかし今の日本では、新生児も母親も比較的元気に退院していく割合が、全出産数の9割を占めている。「出産」という自然の摂理を制御しようとして「医療」という介入をしたことにより、死亡率は劇的に改善された。その結果「出産で死ぬ」ことが、かえって不自然だと考えられるようになってしまったのである。

現在では、抗生剤投与などのちょっとしたものまで含めると、実に8割近くの出産に医療が介入している。どんなに些細に思える医療介入でも、何らかの根拠に基づいて行われており、根拠には妥当性が高いものから低いものまである。昔は良いと思われていた根拠が、現在では全く逆の見解を示す場合も、少なからず存在する。

例えば「抱きぐせ」という言葉。これは、現在の乳幼児保育の観点から言うと、既に「死語」に分類される言葉だそうである。いずれだっこできなくなるほど大きく成長してしまう我が子を、物理的に可能な限り抱きしめてあげて下さい、愛情を注いであげて下さい、というわけだ。 また、出産直後の新生児を、仰向けの母親の上に載せてお互いのスキンシップを計る「カンガルーケア」を推奨している産科が多いが、これは、外界に出て間もない赤ちゃんに、母親の皮膚常在菌を与える大事な行為で、初乳(出産直後1週間だけの特別な母乳)の出にも関わりがあると言われている。ところがこのカンガルーケア、説明不足やちょっとした不注意から、最近赤ちゃんの窒息死につながる医療事故が報告されている。

更に、予定日を過ぎても生まれない場合、一般に陣痛促進剤を使用するのだが、これも昔のイメージ(医療事故)が強く、かたくなに拒否する妊婦さんもいるとのこと。刻一刻と変化している胎児や母体の状況次第では、薬品の使用が一様に悪い影響を与えるとも言い切れない。また、胎児の生存率が比較的高い帝王切開の場合でも、100%の安全が保証されているわけではない。この様に、いかに最善を尽くし考え抜かれた行為であっても、いつ逆の効果を示すか解らないのが、日進月歩の周産期医療なのだ。


全ての命は、かけがえのない尊いもの。ましてや10ヶ月前後を共に過ごし、自分の分身とも言える我が子と対面する喜びたるや、何ものにも代え難い幸せな瞬間であろう。しかしそこに至るまでには、数えきれない人達の支えが必要であることも、決して忘れてはならない。 とりわけ医師の不足が叫ばれている産科では、このまま状況を放置すれば、間違いなく医療崩壊するとまで言われている。以前「搬送拒否」による妊婦さんの死亡事故が、報道で大きく取り上げられたが、これらは問題の一端に過ぎない。

赤ちゃんも母親も無事な出産が奇跡だった時代とは違い、今は「無事で当たり前」の時代。
ハッピーエンドが前提の産科医療にとって、死産や医療ミスはそのまま「医療訴訟」に発展しやすいという現実があり、そのことが産科医を目指す医学生の減少にまで拍車をかけているとも言われている。

まだ幼い頃に観た「エレファントマン」という映画を、今でも鮮明に記憶している。
妊娠中の母親が、像に踏まれるという事故によって異形の姿で産まれたことからそう呼ばれ、見世物小屋で動物以下の扱いを受けていたジョン・メリック(エレファントマン)青年。世の不幸と人生の辛酸をナメ尽くしてきた彼も、その最後は幸せに満ちたものだった。仰向けで寝ると命の危険があるほど重度の奇形だった彼の唯一の夢は、ふかふかのベッドに仰向けで眠ること。 彼を見世物小屋から引取り、人間扱いしてくれた恩人たちへ感謝の思いを馳せつつ、聖母マリアの様な美しい母親の写真に見守られながら、ゆっくりと白く清潔なベッドに入り、その短い人生に、自ら幕を降ろした。

冷静に観れば「自殺」とも受取れるこの最後のシーンは、不思議なことに幸福感と感謝に満ちあふれていた。

地球上に生を受けた全ての哺乳類は、母親からその命を貰い受けた。生きて産まれてこられなかったことが不幸なのではない。人生という最高の贈り物を受取りながら、そのことに感謝できないことこそが最大の不幸ではないだろうか...。
1973年には、年間約29人だった日本の妊産婦死亡率(出生10万人に対して)は、2006年には約5人と激減。同じように周産期死亡率(妊娠28週以後の死産数と早期新生児死亡を加えたもので、出生1000人に対して)も16人から3人にまで減った。これは世界一優秀な数字である。少子化が叫ばれている今だからこそ「子供を産み育てる」「共に生きる」という価値を再構築する必要があるのではないか。以前ここでも触れた(social17「家族」)家族の問題とも深く結びついているからこそ私たちは、自分自身に対して今一度「命の価値」を問い直さなければならない時期にきているのかも知れない。


今日も、世界中のあちこちから聞こえてくる...
「こんにちは!あかちゃん」
「産まれてきてくれてありがとう!」

「はじめまして!おかあさん」
「産んでくれてありがとう!」



[Reference] Japan Society of Obstetrics and Gynecology

Text by wk


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