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  • Posted on
    2010.06.10
  • posted by kenshin.

世界を変えた発明 開発者の真意とは?





冷戦の時代から現在に至るまで、もっとも効率的に人を殺し続けたのは核兵器ではなく、たった一人の、誠実にして有能な技術者が開発した自動小銃であることが明らかになっています。
  その名は「AK-47」、通称「カラシニコフ」。

20世紀の45年以降最も大量に生産された自動小銃であり、それが今だ数十もの国家で製造されています。
その導入以来何百もの国と紛争地帯において使用されていて、多少改良されたモデルも含みますが、この50年の間に世界で生産されたAKの総数は、一億とも推定され、このカラシニコフは真に伝説的な武器であるといえます。
AKの開発は、ミハイル・カラシニコフ氏が、祖国ソビエト連邦を守るために、この優れた銃を作りました。
当時、戦車兵であったミハイル・カラシニコフ氏が負傷しその後、第2次世界大戦中に幾つかの小銃を開発するところに始まりました。
負傷して後送される際に、トラックがドイツ軍に襲撃されてほぼ全滅するという悲劇を経験し、偶然、助かった彼は、「自動小銃さえあれば、全滅には至らなかった」と考えました、その後、自動小銃の設計に没頭し、1947年、「カラシニコフ」こと AK-47 が完成した。 それは、優秀な機械技術者が心血を注いだ「優れた機械設計とはどういうものか」という手本のような物だったといえます。
そして、作動の信頼性、メンテナンスの簡易さと可能な限りの最悪状況にも凌駕されない実用性が広く知られて、部品が少なく、最も効果的にすべての部位にその設計が組み込まれていて、旧ソ連でロシア軍兵器の重要基準は信頼性や作動の良さとメンテナンスのしやすさで、長く使うことができ、おかげで安価に大量生産を可能にしました。 故障しにくいAK-47は、ベトナム戦争時に、故障が多発したM-16自動小銃を捨て、米兵は敵から奪い取った、AK-47を使ったほどで、戦場最前線で、重宝される道具として現在も使われています。
重たさはあるが、女性や子どもでも扱え、少し訓練をおこなえば強くなることが道具として世界に広がりました。
それは、明らかにAKは実戦の中から必然的に生まれた産物であり、AKはそれら戦争の間に学すばれる大部分の教訓を極めて堅い方法で取り入れ大量生産の適合性と戦争の道具として最も優れていることを意味し大量殺戮兵器であることは間違いないです。
1960年代を通じて、中国は数100万挺のカラシニコフを製造してベトナムに与え続け、1970年代、パレスチナの戦闘的グループが、AK47をつかって、テロリズムを印象付け、1980年代になると、アフリカなどで少年兵士がAK47をつかっていることが大々的に報道され、AK47のイメージがさらに歪められました。
戦争のない紛争もない平和な世界は誰もが望む理想ですが、世界ではいまだに戦争や紛争が続いている現実があります。
武力を管理できない、する気もない「失敗国家」という存在があります。
銃があふれかえり、自衛のために銃をもつ住民も増え、そこにつけこんでAK47を生産する国家(ソ連・中国・北朝鮮...)と企業が、密輸もふくめたありとあらゆる手段で銃を売り込んでいく悪循環、そして治安が崩壊しているかぎり、農業・商業などに安心して従事できず、経済の再建もままなりません。

今も世界では銃のコントロールを失い、テロリストの巣になっている国があり、銃などで倒れない国家をつくらなければいけません。
世界で唯一、核兵器を使用された経験のある、日本人の我々は武力の存在、武器の意味をもっと感じ、世界に目を向け訴えるべきだと思います。
ミハイル・カラシニコフ氏は「私はナチスドイツから母国を守るため、より優れた銃を作ろうとしただけだ」。と言い、発明は、生活を豊かにするだけではなく、使用方法によっては、大量殺戮兵器にもなりうると改めて感じました。世界的な貧困の廃絶、不平等の解消、銃の回収は今、人類に突きつけられている課題だと言えるのではないでしょうか?



[Reference
カラシニコフ I  松本仁一 (著) 

Wikipedia





text by J


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