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  • Posted on
    2010.07.06
  • posted by kenshin.

食と農の本質(前編) ~ 集団的誤謬 ~










近年、食と農に関する行政批判が相次いでいる。記憶に新しいところでは、宮崎県で拡大した口蹄疫での政府対応に関する責任問題などでもそうだが、実はマスコミや研究者の圧倒的多数派になっているのは、なにも食と農の問題に限ったことではない。

既得権益に絡んだ収賄事件、薬害エイズ訴訟など、相次ぐ官僚や族議員による汚職事件の影響もあり、1990年代以降のマスコミの定番的論評は「悪い官僚(ないし族議員)VS 善良な市民」という構図で語られることが多い。

もちろん、政治家や官僚の腐敗・堕落は重大な問題であるし、深刻に受け止めなければならないことである。しかし、現在の社会問題のすべてを「悪い官僚 VS 善良な市民」という構図だけで捉えてしまうというのは、危険な単純化傾向だとは言えまいか?民主国家である日本では、議員や官僚と言えども選挙や試験を通じて市民の中から選ばれている。官僚や議員の腐敗・堕落を産んだのと同じ病原体は、むしろ善良な市民の側に棲息している可能性が高いのに、世の中の矛盾をすべて〝手頃な誰か〟になすりつけて、それから先の思考を停止してしまうというのは、非常に危険で憂慮すべき現象である。




特に食や農に関する話題は、どことなくノスタルジックな雰囲気もあり、行政批判にはもってこいの材料になっていると思われる。例えば、30年以上前の新聞や週刊誌に、着色料などの食品添加物問題、水道の有害物質、食肉偽装表示、食料安保、農薬残留問題など、まるで最近のことかと思われる記事が多く見られるが、反対に〝新しい動き〟として、毎年の様に「食育」「産地直送」「地産地消」「自然農業」「健康志向」「食の安全・安心」「生産者の顔が見える関係」など、表現の違いこそあれ、多くの同じ様なスローガンが繰り返し発表されてきた。では何故、問題は改善されずに耳ざわりの良い〝お題目〟ばかりが誌面を賑わせているのだろうか?その答えは「消費者エゴ」または「お任せ民主主義」という市民のミーイズム(自己中心主義)と、少なからず関係がある様だ。




例えば「有機農産物の宅配が健康や環境に気を配る消費者に大人気」という特集記事の見出しには、ある種の自然回帰的な安心感があるが、少し見方を変えれば「宅配にかかる流通コストや石油の消費に気を配らない消費者」と言われているのも同じであるし、田園を潰して建設されたショッピングモールへ「産直野菜」を買いに自家用車で出かけることにも大きな矛盾を感じてしまう。また〝自然志向〟で人気の「ヤシの実洗剤」を作る為にスマトラの熱帯雨林が焼かれ、永続性に疑問の多い油ヤシ畑に変わっているという現実を、自然志向の消費者達は知らない。

更には、日本向けのエビ輸出のために、東南アジアのマングローブを薬で枯らしてエビの養殖場を作り、5年前後でヘドロになってしまうので、そのまま放置されているという現状もある。同じく日本向けの鶏肉生産のためにブロイラーが薬漬けで大量飼育され、その精肉工場では農村出身の若い女性を過酷な労働条件で雇い、労働や賃金の搾取が状態化していることも看過できない。また、ナタデココの一時的なブームがもたらした途上国の農村の混乱など、私たち日本の消費者の気まぐれやエゴが、途上国の農民に重大な影響を与えているのである。もちろんその背景には、途上国の貧困問題が横たわっていることと無関係ではないが、自分たちの食べ物のことばかりを気にして、安定した輸入食品の供給を支えている途上国の農民たちには気を配らず、そういったこと全てから目を背ける(マスコミもこの手の報道は、あまりやらない)のは本末転倒であるし、卑怯と言われても仕方が無い。














この様な安易で利己的な「自分たちだけは、楽に良い物をなるべく安く手に入れたい!」という利便性のみを優先してきた結果、我々市民が失ってきたものはあまりにも大きい。特に食の安全に関しては、それぞれの食材に応じた保存方法と調理方法にひと手間が必要だし、それぞれに旬の季節が存在する。その為、食材1つ1つの知識や調理技術も、ある程度身に付いていることが前提となるだろう。しかし、私たちは何かと言い訳を付けてはそういった手間のかかることを敬遠してきた。マスコミや流通業者はそういう消費者の真意を巧みに「嗅ぎ取り」、安心・安全、地場流通、環境フレンドリー的な〝匂い〟のあるものを散発的に紹介したり店頭に並べ、消費者の多くもその〝お手軽さ〟になびいてきてしまった。

賛否両論はあろうが、「消費者の本音は手軽さが一番で、食の安全・安心や子供と家族の健康などは二の次三の次、スーパーやショッピングモールの味に飽きたら、本物志向と称してデパ地下で買った食品をテーブルに並べるだけ。」日本の食文化崩壊は、そう言われても仕方が無いレベルにまできているのかもしれない...。


BSE(狂牛病)、O157、鳥インフルエンザ、残留農薬、農産物輸入問題、食糧危機、産地や消費期限の偽装などなど...、食の安全に関する問題や話題は枚挙に暇が無い。しかし、政治的な流れやマスコミの論調を鋭く見抜き、数多の情報を分析し正しい選択ができなければ、これら問題の解決も難しいであろう。本質を掘下げて考える時、どうしても避けては通れないもの、それは他者への「思いやり」ではないだろうか。「自分だけは得をしたい(損をしたくない)」というミーイズムや他人の不幸や痛みに対する無関心が、私たち庶民の感覚を鈍らせている、という意見もあるが、ごく一部の人たちの為にその他大勢の人達が犠牲にされるのは、甚だナンセンスである。

エコカー減税やエコポイントの活用で、新車や薄型TVへの買い替え需要が伸びたことは、経済の活性化には一役かったのだろうが、これこそ集団的誤謬の典型例であり、本来言葉通りのecoというのならば、自動車を使わず公共交通機関を使ったり、自転車に乗るのが環境にも健康にも良いことは、国民の誰もが認識している。そういった面倒なことや不便さの中にこそ、本気でこれらの問題を解決していく糸口がある様に思えてならない。次世代に大きな負の遺産を残さない為にも、今を生きる者の責任は重大である。




[reference]

『日本の食と農』~危機の本質~ / 神門 善久著





text by wk

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