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  • Posted on
    2010.10.06
  • posted by kenshin.

Stolpersteine 『名前が忘れられた時、その人物は忘れ去られる』







ケルンの芸術家Gunter Demnig氏によって1992年に始まったStolpersteine(つまずきの石)というプロジェクトがあるのをご存知でしょうか。ドイツの街の至る所に10センチほどの正方形の石が埋め込まれている。 ドイツ語で"stolpern"は何か障害物に"つまずく"という意味があるそうですが、このStolpersteineは表面に見える部分は真鍮のプレートだけで人が転ぶような凹凸はありません。ここでは何かが頭にひっかかるという意味が含まれていまるのです。その理由は立ち止まってプレートをよく見てみるとわかります。
バッベッテ・シュトラウス、ここに住居する。 生年 1875年 1942年 テレージエンシュタットに収監 1943年 アウシュヴィッツにて殺害される。                   「ホロコースト」、ギリシャ語を語源とする言葉で、「焼かれたいけにえ」を意味する。 1933年1月にドイツで政権を握ったナチスは、ドイツ人を「優れた人種」と信じた一方、ユダヤ人を「劣等な人種」とみなし、「生きるに値しない命」と考えました。また、ユダヤ人以外にも、ロマ族(ジプシー)、身体障害者、ポーランド人やロシア人などのスラブ系民族も「劣等な人種」とみなし、迫害の標的にしました。 1933年ヨーロッパでのユダヤ人口はには900万人を超え、そのほとんどは、第二次世界大戦中に第三帝国が占領したか影響を与えた国々に住んでいました。 1945年までに、ヨーロッパのユダヤ人を殺害するというナチスの政策「最後の解決策(Final Solution)」の結果、ヨーロッパ系ユダヤ人3人につき約2人が殺害されたのでした。

迫害され殺害されたユダヤ人の数は一般的に600万人、反体制活動家、同性愛者、ロマ、ジプシー、身体障害者なども含めるとその数は900万から1100万人に上ると考えられています。こういった多くの人たちは、強制労働収容所へ送られ、過酷な労働、監禁および虐待の結果、死んでいったのです。また終戦間際の1942年から1944年の間には特別に建設した殺人施設、絶滅収容所へ送りで殺害しました。この人類の歴史上最も悲惨な大量殺戮の歴史を風化させぬよう、また犠牲になった人々記憶を忘れさせぬようにに、彼らがかつて住んでいた場所に赴いて、名前、生まれた年、死亡年とその場所が刻まれたStolpersteineを街の協力を求めながら埋め込まれているのです。

日常生活の中で常に過去の戦争の歴史、記憶を維持していくことはとても難しい、戦争に関する映画や本を読んだときは別として。わたしたちにとって非現実てきであり想像ができない、しかし確実に起きた歴史なのです。

今回調べていて思ったのですが、自分は世界の歴史を知らないし、世界どころか自分の国の歴史さえも知らない、あまりにも日常とかけ離れている戦争の歴史は何か切っ掛けがないと知る事さえない。日本人がアメリカの無差別攻撃でどれだけ殺されたか、広島、長崎でどれだけの日本人が原爆で跡形もなく死んだか、中国、韓国、台湾、フィリピン、どこで誰が日本軍に殺されたか知る事はなかなか難しい、広島の平和資料館に行けばわかるが日常的ではない、このつまずきの石のすばらしさは普段の生活の一部になっている、通勤や通学、日常生活の中でこの小さなプレートを目にすると、戦争の歴史がふと頭に浮かびます、ほんの一瞬でも犠牲者のことを思い出すことができます、平気でその上を歩く事ができなくなる、惨殺された一人一人の命を思い出させる切っ掛けになるのです。その切っ掛けこそが歴史を風化させず、犠牲になった故人への弔いになるのではないでしょうか






参考資料

Wikipedia


text by GM

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