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  • Posted on
    2010.07.28
  • posted by kenshin.

TIKI CULTURE






戦争体験は個人に対しても文化価値にも様々な影響を及ぼす、イラクの帰還兵の心的障害の問題や「THE MAGAZINE」の記事「捨てられた都市とカーゴカルト」でも取り出されている様に戦争はいつだって様々な所に多大な影響を及ぼしてきた。
それはしばしば新しい文化を作り出すきっかけともなる

TIKI CULTUREは突然、20世紀の半ばに アメリカに降って湧いたカルチャーでポリネシアン文化に色濃く反映された TIKI彫刻や神話などに単を発するがそれがどこでどうなったのかねじ曲がり、自由で、スタイリッシュに昇華したブームであった。

事の始まりは 1934年 ハリウッドにできたDON THE BEACHCOMBERというレストランバーからであった。
創始者はアーネスト•レイモンド ボーモントガント
彼は、ルイジアナ州からヨットで南太平洋を横断した青年でした。
画期的だったのは 当時のレストランにはなかった燃える松明、藤の家具、エキゾチックに彩られたものでした。 しかしコレは火種にしかすぎない予兆だったのです。






第二次世界大戦後 多数の米兵が太平洋戦争から戻ると 土産話や記念品などがTIKI文化の爆発に貢献しました。 当時アメリカにおいて中産階級の人々が旅行を行い他の国の文化に触れるという機会は少なく、戦争に出るという形で若者は世界の文化に触れることとなりました。

当時、アメリカの出兵した人々にとってとりわけ太平洋上の航海や未開のジャングル、ポリネシアの島々での体験は非常にカルチャーショックだった様です。
その原住民の自由な暮らしは、経済市場主義にどっぷり浸かったアメリカの若者には信じられないぐらいの価値観だったといいます。

その人間の原点のような生き方をする原住民に魅了され戦争後、帰還する事無く現地に留まった多くのアメリカ兵がいるとも聞きます。

その戦争で体験した南方体験は多感な青年兵士達の心をわしづかみにしていたのです。

戦後のアメリカは戦勝国で中産階級の経済力は爆発的に飛躍します。

アメリカ、西海岸においてエキゾジックな文化のロマン的に解釈された帰還兵の思い出や、いち中産階級出の兵士が命を賭して出兵した先での異文化での冒険奇譚、TVでしかみた事無いジャングル、南方奇譚、冒険、それは熱帯南方に恋をするに充分すぎる経験でした。

その戦争体験によりふくれあがった美化された甘い思い出は経済成長と結びつき いつしか西海岸でTIKI CULTUREとして昇華して行ったのです。

HOTELは南国風にレストランはTIKI BARと化し、建築はねじ曲がったのごとくTIKI風に増大し、LES BAXTER,ARTHER LYMANに代表されるようなエキゾチカという音楽ジャンルが生まれ、アフロキューバンやラテン、ボサノバなどとハイブリッドを起こしながら新しい音楽ジャンルが確立して行きます。

もちろんハリウッドに代表される映画界でも例外ではなく、南国のロマンチックなテーマの作品が爆発的に増え、「ターザン」「キングコング」といった名作が生まれます。


メキシコのお酒テキーラや色とりどりのカクテルが飲まれ始めたのもTIKI CULTUREの影響だといわれています。一時期ポリネシアデザインは家の家具や建築構造、ビジネス、音楽、様々なジャンルに影響を及ぼしたのです。

その異形な姿は人々の心をときほぐし身近な旅行体験、非日常を演出してくれたのでしょう。

しかし60年代に入るとその栄華を誇ったカルチャーは急速に夢から覚めた様にしぼんでいき、今ではその誇った栄華の後はほとんど目にする事はありません。

TIKI CULTUREは戦争がもたらした、当時の多数の出兵したアメリカ青年達の異国の思い出の刻印だったのかもしれません。









TEXT BY KESO

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