THE SALON STYLE JOURNAL

INFLUENCE

進化の果てには?〜 Engraved in memory〜  

以前のTHE SALON STYLE JOUNAL でも何度も記事のポイントとしている、インターネット、AI,VR など(IT,テクノロジーやデジタル)の急速な進化での社会システムやその流れでライフスタイルなどに及ぼす影響やメリット、デメリットはまだまだ未知数で計り知れません。
今や主要都市のライフライン(インフラ)しかり社会生活には欠かせないものとなりつつありますが、底なしに利便性は増し続ける中、かたや発展途上国では、携帯(スマートフォン)の普及は留まる事はないが、インフラに対してはITが有効活用されず、社会システムの2極化の溝が大きくなり、誰も歯止めがきかずに突き進もうともしています。 今更ながら このタイミングでどのマスメデイアもこぞってその脅威や問題定義を取り上げてきています。 日本においては 特に一般普及しているSNSにしても誰もが簡単に参加できる間口の広さながらガイドラインやセーフテイーネット、大きくは法的整備がまだまだ追いついてない分 一個人の主観や思想でどうとでも繋がれる?その取り扱い方によっては とてもシリアスな事件や事故が多発していることは周知のとうり、それは制作(プログラミング)した者でさえ 人々が体験したことのないことが起こりうる新たな社会問題であり やはりポイントとの一つとしては誰でも簡単に、その反面あまり知識や、創造性がなく使用していたら無意識にあらゆるリスクをも引き起こすことができるツールともなり得ることが とてつもなく脅威となってきています。  誰であろうが、表面上は可視化しやすいように思われる現代社会では2017年に入り、様々な世界情勢の変革期の狭間で更にスピードを上げ続けています。 もちろん、カテゴリーによってはその変化がよりポジテイブに効果を発揮する面も未来的にはとても興味深いところではあります。 しかし、それは、現代社会(人々)の欲求(needではなくwant's)によって、セレクトされ生み出されてるようにも感じます。 果たして、その過程や、行く末は?進化の波に緩やかながらも飲み込まれている事にどれほどの人は気づいているのでしょうか? 今後、一つの新たなツールとしてどう活用するかで、プラスにもマイナスにもなり得る世界はどこに向かうのでしょうか?
また、その波は各業界に波及し特にカルチャー全般に大きな影響をローブローのように徐々に見え隠れしながら変化が現れようともしています。 現代では(特にファッション、音楽、アート=カルチャー全般)が80'90'年代をリバイバルしリミックスする風潮もまた一つのコマーシャルライズであり 大きなマスを動かす、システム変化のアプローチとも言えるかもしれません。 少しテーマからは視点がそれますが、生まれ持っての人格や資質は様々であっても、やはり世代の違いや環境下で その風潮や変化の捉え方はかなり異なります。只、ITによって得た知識は常にアップデートが繰り返され、瞬時に過去のものとなり、ほとんど記憶に刻まれる事なく、思い出すことも容易でなくなっています。やはり、良いことも悪いことも人はアナログでの実体験で得た その時々であらゆる経験をした事をベースにエイジレスに人の感度によって物や事柄を脳裏に刻めていくものだと、当たり前な事ですが なぜだかより強く実感しています。
そのような状況下だからこそか、あくまでも個人主観ですが、時間の尊さや日常の儚さを記憶に刻まれるようにマインドリセットの意味合いも込めて  時にテクノロジーとの距離感やバランスを保つ為 今尚、心に刻まれた大切に想えるアナログな物を紹介したいと思います。
過去を遡っても記憶に刻まれた物や事にはやはりアナログなプラットフォームで全て製作者の強い情熱が込められた物が多い。 しかし昨今の進化するITによるフォームでリミックスする時代では、蜘蛛の糸のように張り巡らされたセキュリテイーでの中をかき分けながら、(多くは全てフラット化された中で同一化された表面上の情報をかき分けることで疲弊して諦めて、経験もせずに情報をスルーしただけで そこそこ其れなりで満足?)してしまうのがリアルな現状で その情熱ある物事をダイレクトに肌感で感じることが少なくなってきているのが 個人的には心地悪くて仕方がありません。 そんな中でますます淘汰される出版業界においては 温故知新と時代錯誤した感覚かもしれないが、日本におけるその時代にしか生み出されなかったであろう、洗練された情熱ある雑誌は記憶に刻まれています。 ファッションやアート界 出版業界では説明不要なほどリスペクトされ、90年代 世界に誇れる日本が生んだ伝説とされる雑誌 DUNE =編集長 故 林文浩氏 と 写真家でもある 伊島薫氏が編集長を務め 立ち上げた ジャップ(ZYAPPU) は今の時代だからこそ再確認したい大切なツールの一つです。

DUNE に関しては 今尚、出版業界やファッション業界に多くの影響をもたらした 故 林 文浩氏 が編集長として生き様であり生涯を捧げ生み出した雑誌。 インデイペンデント性が強く ストリートからラグジュアリーまで、タブーなく取り上げられた内容のクオリテイーはオリジナリテイーに溢れ 日本発でありながらも世界にも認められ、本質をブレずに貫いた唯一無二の存在感を示した雑誌。
1993年に創刊され2008年まで約15年間創刊し続けてたが、惜しまれつつも一度幕を閉じ休刊。 その後、2011年に3年間の制作期間を経て再創刊を果たしている。 その舞台裏には 再ローンチした UK では36年の歴史あるカルチャー、ファッション誌である ID MAGAZINE の 日本版 ID JAPAN の編集長をも兼任している 林 香寿美さんがパートナーである 故 林文浩氏のコアである情熱やスピリットを編集長として受け継ぎ、新たな形で DUNE は不定期ながら再創刊されている。

ジャップ(ZYAPPU)に関しては 1994年に創刊され1999年に廃刊されるまで約5年間のみ存在した。 写真家 伊島薫率いる様々なアーテイストが参加し作り上げる世界はエキセントリックかつ実験的でメッセージ性の高い雑誌であり、DUNEとはまた別の角度での社会へのアンテイテーゼも踏まえたアプローチで当時の雑誌とは一線を画したことで 日本では 伝説の雑誌の一つとして称されている。 伊島薫の創刊に至るフィロソフィーは 『ファッション雑誌とは私たちの日常生活を冒険と創造性に満ちたものにしたいという理想の追求と実験の場で」あるという。その言葉通り、有名ブ ランド服を着た死体を演ずる女優たちを撮影した「連続女優殺人事件」シリーズ、平川武治のファッション批評など、実験的な写真や既存の雑誌には掲載されにくい文章などが積極的に取り上げられた。

両誌ともに ほぼ同時期に創刊し 時はバブルが弾け、まさに不毛な消えた10年と称される 90年代に生まれたのは 偶然でありながらも 何かどこかシンクロしたものも感じます。 ちょうど青春期に創刊をオンタイムに体感したものとしては 今見ても、20年前以上に作られたとは思えないほど、本質にこだわり徹底したクオリテイーで見るものに心のどこかに何かを残してくれる。 日本でこれほどビジュアルでもインパクトを与え、ページを毎回開くのをワクワクさせてくれる内容の詰まった雑誌は、後にも先にもなかなか現れるものでもないでしょう。 当時においてはとてつもなく異質でありながらも、異彩を放ったのは 人が生き様をかけて想いを乗せた物であるからこそ。 今尚 新鮮で熱量と何よりも人としての温かみを感じます。
初期のDUNE や現在のLibertin DUNE、ジャップ(ZYAPPU)をどこかで出会ったなら、実際に手に取りアナログで ページをめくりその時代その時々の空気感や情熱を是非感じて欲しい。

  • 2017.2.14