THE SALON STYLE JOURNAL

THINGS

Havana Before Castoro

ハバナと聞いてどういうイメージが来るだろう?

未だ共産圏、カストロ、葉巻、ブエナビスタ•ソシアルクラブ、ラテン、50年代の車が未だに走っている、、など

様々なワードやイメージが出てくるがそれもこれもカストロのキューバ革命以後のイメージばかり。
本書は甘くて豊楽の味の腐り落ちる果実の実の様なキューバ革命以前のハバナの様子を伝える貴重な資料的な一冊

実はハバナはカストロの社会主義革命以前はカルチャーを牽引する享楽の限りを尽くした他に類を見ないリゾート地であったのは人々の記憶にはもうない、、、、

スペインの植民地政策の中心として栄えたハバナは、1902年のキューバ共和国の独立により、キューバの首都となった。独立以前からキューバへの投資の多くはアメリカ合衆国資本だったが、独立以降この動きがさらに進んだ。
1920年代にアメリカ合衆国で禁酒法が施行されると、アメリカ人たちは酒が飲める地として享楽を求めてハバナを訪れるようになった。
その結果、ハバナにはアメリカ人富豪の別荘が多く立ち並び、多くの観光客によって高級クラブやカジノがにぎわうリゾート歓楽都市として大発展した。
その立役者が建築家 エドワルド ルイス ロドリゲスのモダン建築であった
1940年代後半から革命の起こる1958年までの間、オスカー•ニーマイヤーのブラジリアン モダンイズムに色濃く影響されたエドワルドの実験的な建築が立ち並びハバナ ヒルトンホテルを中心としたモダン建築のホテルやバーやカジノではボクシングの世界タイトルマッチショーや当時最新のラウンジミュージックなどが生まれ、戦後西海岸で大流行したtiki styleの発祥のレストランtrader vic'sの支店もキューバにオープンしていた。

今でこそ皆が飲んでいるおしゃれカクテル モヒートはこの頃のハバナで生まれたのはトリビアでもある
あらゆる富が流入し消費され バブルな限りを尽くし、キラキラとしたリゾートの新しい形を形成し、南国モダンという独自の新しいカルチャーを作り始めていたハバナはキューバ革命によって1日で夢の様な世界は終わってしまう

こういった娯楽施設のほとんどは閉鎖され、モダン建築施設も全て革命政府に摂取され、公共施設へと生まれ変わるが、メンテナンスされないまま放置された事により栄華を誇った形跡はほぼ残らず夢のしずくに消えていったのである













  • 2013.9.11