THE SALON STYLE JOURNAL

INFLUENCE

新生 KENZOは時代の変化のポイントか?

1970年 高田賢三がパリのギャラリー・ヴィヴィエンヌにブティック「ジャングル・ジャップ」をオープンし初コレクションを発表。
色鮮やかな花柄×花柄の大胆な組合せ、日本の平面作図から生み出されたゆったりとしたシルエット、安価なコットンを多用したカジュアルなコレクションはパリ・モード界に大きな衝撃を与える。
その後も独特の色彩感覚で柄物をミックスし、日本だけでなく、中国、インド、中央アジアなどからインスピレーションを得たフォークロアなデザインを発表し日本という枠を超えフランスの代表の一つのブランドとして君臨する。

その後、1993年に彼のレーベルは大手LVMHに買収され1999年の高田賢三の引退後、ジル•ロズィエをへて 2004年にレーベルのアクセサリー部門で以前に働いていたデザイナーのアントニオ·マラスは、クリエイティブ·ディレクターとして就任、彼は詩的な、花柄のKENZOのシグネチャを利用することで、より洗練されたフェミニンな方向にKENZOのブランドを舵取った2012年にL.Aのセレクトショップ オープニングセレモニーのキャロル·リムとウンベルト·レオンがクリエイティブダイレクターに就任し新生KENZOを生み出した。
何と言ってもブランドのコンセプトは対極にあるものが見せるコントラストがインスピレーションの源であるケンゾーは、様々に異なった素材、色、文化を融合し、まったく違った世界観を表現する。ブランドのアイデンティティとなるものは「色」、「旅」、そして「自然」であった3つのアイデンティティから引き出されるキーワード 「色」から温かさや装う楽しさ、「旅」から開放感、ミックス・カルチャーやエキゾチズム、そして「自然」は穏やかなやすらぎ、調和やエネルギー。これらをケンゾーの手法であるコラージュで表現。親しみやすいデザインは多様性と遊び心をもって提案する事がアイデンティティーとなっていく
個人的にはアントニオ•マラスの表現する伝統技術を融合させ、他にはない服への挑戦をKENZOというブランドでの捉え方は素晴らしいと感じていた。
私自身、正直いうと、2012年のオープニングセレモニーのキャロル·リムとウンベルト·レオンがクリエイティブダイレクターに就任したときにはパリジャンからも愛されるフランスを代表する日本人の本質をヨーロッパで花咲かせた伝統のあるKENZOとの接点がどこにも見つけられずに疑問詞が浮かぶ交代劇でしかなかったのを覚えている。
彼らはL.Aのセレクトショップで成功していたし、ヒップスターのクロエ·セヴィニーと前衛的なアトリエメゾンマルタンマルジェラとのコラボレーションラインを成功させていたのも知っていたけど、やはり長年、旧ファッションに身を置いてきた癖がついたせいか「時代の変化」や「センセーショナル」な物が産まれる瞬間をナチュラルに感じ取る事ができなかったのかもしれない。
キャロル·リムとウンベルト·レオンのKENZOでのファーストコレクションで前面にペイズリー "K"とパッチワークされたカーキトレーナーをみてその時点であまり彼らの行っている意味がピンとこなかったのも事実だった。
しかし次のコレクションを見た瞬間、彼らの表現している事の意味が理解でき、自分は半年前の全シーズンは時代の変化のポイントだという事を事実として受け止めなければならないと感じた。
服作りももちろんのこと、ショーのプレゼンテーションやチャイニーズ•モデルのシャオを起用している広告ビジュアルはとにかくポジティブでエネルギシュ、服作りのテクニカルな事もKENZOの華やかさや独特の色彩感覚をプリントで楽しさや開放感、ボーダレスなエキゾティクな感覚を21世紀に解釈したものとして想像している。
特に高田賢三がKENZOの初期に瑞々しく存在した、エネルギッシュな楽しさと威勢の良さやポジティブな感覚はKENZOからオフトラックされていて、アントニオ·マラス時代にこだわった花柄のモチーフは虎に変わられながらも受け入れられている。実際に道行くおしゃれな若者がKENZOの虎のトレーナーやキャップを身につけている所を見ると一目瞭然だとおもう、彼らの出現以降、パリの若者の遊び方は変わったという事実はカルチャーにも大きな影響を与えている
私たちはファッションの時代が変わったという認識をこのブランドからする必要があるのではないかと彼らのコレクションを見て感じる。何よりもクリエイティブ ダイレクターのキャロル·リムとウンベルト·レオン自身が服作りが楽しくてしょうがない様に見える。
新生KENZOのポジティブでエネルギッシュかつ都会的でモダンでストリートでスリックな感覚は高田賢三自身が服作りを行っていたエネルギーの遺産の絆だと感じる。













参照:WIKIPEDIA

  • 2017.4.04